日本人初の「ドイツ宮廷歌手」の称号を授与された、バリトン歌手小森輝彦。 17年間のドイツ生活にピリオドを打ち、一昨年の秋に日本に帰国して以来、東京二期会の本公演に3連続プリンシパルで登場するなど、オペラやコンサートの舞台で大活躍を続けている。 2014年3月には帰国後、満を持してのリサイタル(二期会ゴールデンコンサートVol44)に出演! ノーブルな響きで導かれる音楽の真髄に内外から大きな期待が寄せられている。 |
日本人として初めてドイツ宮廷歌手の称号を得たバリトン
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小森:日本のオペラファンの皆様にとっては、引越公演などで日本に来たオペラ歌手のプロフィールなどで見かける以外はあまり目にする機会がなかったと思います。「宮廷歌手」の名はヨーロッパの音楽文化の中で、歴史的に宮廷が音楽家のスポンサーであったことに由来しています。もちろん今は宮廷が劇場を運営しているわけではありませんが、名誉称号として今も音楽家の憧れの的です。宮廷歌手はKammersänger(カンマーゼンガー)、楽器奏者に与えられる宮廷音楽家はKammermusiker(カンマームジカー)となります。
授与するのはドイツの劇場、もしくは市、州なので、その劇場と深い結びつきを持ち、大きな貢献が対象となります。ヨーロッパの劇場は地域と強く結びついていますので、その劇場のレベルアップに貢献して、劇場の聴衆や同僚、市民から高い評価を得た人が叙任されます。専属歌手とは限らず、また外国人でも対象になります。逆に、勤続年数が長ければもらえる訳ではなく、その芸術家としての仕事のクオリティーと継続性が基準になります。
僕の場合は幸運なことにこの劇場で12年間、多くのタイトルロールをはじめ、やりがいのある役ばかり歌わせて頂けたので、その仕事の内容が評価されたのだと思います。劇場というのは自治体がスポンサーになり、地域の文化振興の担い手でもあります。仕事としてただ舞台に立つだけでなく、劇場人として地域文化と関わる事は重要な使命なので、ある部分、公人として見られる事になります。
――日本人の小森さんが、ドイツの聴衆からそこまで認められたのは、素晴らしいことですね。
小森:実力が求められるのはもちろんですが、日本人の特性である協調性、相手のニーズを読み取り順応するという力が評価されたのではないかと僕は思うのです。
思えば、僕が2000年に専属歌手として活動を始めたときに一緒に採用された他の3人のソリストは2年で姿を消し、その後も新しく歌手が入ってきては辞めていきました。劇場総裁が代われば芸術的要求も変わりますから、5年以上劇場と聴衆の「Liebling(お気に入り)」で居続けることは容易なことではありません。12年目に僕が辞めると伝えたときは強く慰留されましたが、これは本当に幸せなことだったと感謝しています。
環境に順応しつつアーティストとしての「個」を出していく為には、その絶妙のバランスが必要ですね。この17年のドイツ生活で、日本人としてヨーロッパ音楽をヨーロッパで実践することの難しさと価値を身に沁みて感じ続けてきました。今はそれを後輩達に伝えるのも僕の使命と思っています。
小森:宮廷歌手の称号を得たことで、音楽家としての社会的使命をより強く意識することになりました。Prof.などと同様、公式書類の宛名もそうなりますし、公演で舞台への呼び出しアナウンスで「宮廷歌手小森さん舞台へどうぞ」と呼ばれると最初はくすぐったい感じでしたが、少しずつ実感が湧いてきました。
高校で音楽を始めて以来「ドイツの劇場で専属歌手になる」というのが夢でしたが、それが2000年に実現して以来、宮廷歌手は心に秘めた夢でした。
僕の留学時代に師事した「フィッシャー・ディースカウやシュタムはもちろん宮廷歌手ですし、ファンとして羨望の眼差しを送っていたシュトルックマンやグルントヘーバー、カップッチッリ、ブルゾンなどの名歌手達もみな宮廷歌手です。」
この称号を頂いたことで、僕の活動におけるハードルが上がりました。僕はこの称号に相応しい歌手でなくてはならない。
稽古場での態度や音楽、芝居への姿勢、同僚との関係の持ち方も含め、舞台表現者としてだけでなく社会へ、ある意味、人徳とか人格という意味でのレベルでの参加が求められます。社会貢献という意味では音楽という芸術の「大使」となりチャリティー活動なども重要ですね。僕がこの称号を頂いたのが東日本大震災の直後でしたので、この事はよく考えましたし、その意味も込められているのです。
僕は、言葉や国籍、政治的立場を越えて人と人や想いをつなげることが出来る「音楽」という素晴らしい芸術の下僕ですから、人と想いの架け橋になれたらと思います。 震災支援のチャリティーコンサートで協力してくれた テューリンゲンの人たちが昨年夏は大洪水に見舞われましたが、そういう局面でも音楽家として関わって行く事を今も模索しているのです。
「音楽現代3月号」インタビュー記事より一部引用
小森:シューベルトの「冬の旅」と並んで、言わずと知れた名作です。ドイツリートの代名詞といっても良いくらいじゃないでしょうか。
僕は、大学学部生の頃はオペラよりもドイツリートの世界に魅せられていて、ひたすらリートばかり歌っていました。僕にとって若干敷居が高かったシューベルトに対して、シューマンは最初から親しみやすく、連作歌曲集だけとってもリーダークライス(作品39と作品24両方)、ケルナー歌曲集(作品35)、そして詩人の恋(作品48)と、積極的に取り上げてきました。その中でも特に思い入れが強いのがこの「詩人の恋」です。
ドイツの聴衆の前ではじめて歌った歌曲リサイタルも「シューマンの夕べ」だったのですが、ここでも「詩人の恋」を歌いました。シューマンの音の世界とは、感覚的に相性が良い気がします。その後、ドイツと日本で何度も歌ってきましたが、今回は多くのパフォーマンスを経て磨きをかけた、僕の「詩人の恋」の集大成をお聴きいただきたいと思います。
小森:ヨーロッパの劇場文化の中で、一番重要な作曲家は誰だろう?と考えると、やっぱりこの二人に行き着きました。ヴェルディとワーグナーです。 僕の声に一番合っているのはヴェルディの作品だと、僕のヴォイストレーナーであるデヴィッド・ハーパーからは幾度となく言われてきました。そしてワーグナーの作品は、ドイツ音楽を愛するオペラ歌手であれば素通りできるはずもありません。
この二人の作品で今まで歌ったものは、「リゴレット」「ナブッコ」「マクベス」「さまよえるオランダ人」のタイトルロール、「椿姫」のジェルモン、「オテロ」のヤーゴ、「ローエングリン」のテルラムント、「リエンツィ」のオルシーニ、「ワルキューレ」のヴォータン、「タンホイザー」のビーテロルフなどなど。ヴェルディとワーグナーの作品は常に僕の傍らにありました。今回のコンサートでは、オペラの分野でも今までの集大成という意味で、この二人のオペラ作曲家の作品から4曲を選びました。