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ピックアップアーティスト Vol.46 三宅理恵の今

Interview | インタビュー

取材・文 = 高坂はる香

―歌の道を志すことになったのは、どのような経緯からですか?

 私の両親は二人ともピアノが専門でした。母は子供たちにピアノを教えていましたし、父(注:声楽家の伴奏者として名ピアニストであった三宅民規氏)のほうは随分前に亡くなりましたが、伴奏ピアニストとしてすばらしい声楽家の方々とよく共演していました。家の中には常に音楽があり、私もピアノを習っていましたが、声楽に興味を持つことはありませんでした。

ピアノを弾く父・三宅民規に背負われ、赤ちゃんの頃から音楽に親しむ

幼少時代、ピアノの発表会

 音楽を仕事にすることを意識したのは、高校2年生のときです。父が亡くなってすぐに母が仕事を再開する姿を見て、私も手に職を持ったほうがいいのではないかと思ったのです。それにあたり、育った環境を考えたら、やはり自分にとっては音楽がいちばん自然な手段だろうと考えました。ただ、当時は演奏家を目指すつもりはなく、音楽の先生になりたいと思っていましたね。
 実は偶然ながら、中学の同学年に、のちに私の師匠になる成田繪智子先生の息子さんがいて、みんなで野球を観にいったりカラオケにいったりする遊び仲間でした。
 父の葬儀で初めて成田先生にお会いしたのですが、なぜかそれ以来、会うたびに、「歌はやらないの?」とおっしゃるのです。でも、「私はカラオケで十分です!」と言って、ずっとお誘いはお断りしていました。
 高校3年生になり、いざ音楽の教員を目指すため音大に進もうと思ったとき、それでは自分が専門とするのは何がいいのか、歌はどうなのだろうと、イタリア歌曲を1曲だけもって、成田先生に見ていただきました。そうしたら先生が、当然のように、次のレッスンはいつにする?とおっしゃって。なんだか私も先生の強いお気持ちにひっぱられて、だんだんと歌に気持ちが向いていきました。
 母は音楽の道の厳しさを知っているだけに、そんなに適当に決めるなんて何を考えているのと怒っていましたが(笑)。

高校卒業時、恩師成田繪智子先生とご主人

―先生がそんなにも歌を強く勧めた理由は、なんだったのでしょうね?

 それが未だにわからないのですけれど(笑)。私の歌を聴く前からおっしゃっていましたからね。
 ただ、父も生前一度、私に、歌をやる気はないのかと聞いてきたことがありました。中学2年生だった私は、やはり興味がないと答えているのですけれど。当時はピアノを続けていましたが、父もまた、私には性格的に歌のほうがあっていると思ったのかもしれません。
 結局、受験まで1年もないなか、とにかく必死で準備しました。そうして迎えた受験当日、これまでの人生で一番よく歌えたと今でも思うくらい、音楽的に満足のいく歌が歌えました。それが試験結果にあらわれて、東京音楽大学の声楽演奏家コースに進みました。
 実際に入ってみると、周りはプロの声楽家を目指している人ばかり。私は落ちこぼれで、毎年、このままだと演奏家コースから落ちるわよと先生が慌てるほどでした。入ってからが本当に大変でしたね。私自身は怠けているつもりもなく、一生懸命やっているのですけれど、どうにもならないんです。
 そもそも教員免許をとることが目的でしたから、そちらの授業も忙しかったですし。

―そんななか、声楽家の道を意識するようになったきっかけは?

 大学3年生の終わり頃、ある日、声が変わった瞬間があったのです。今でもそのときのことは覚えていますが、突然、いつもと違う感じでビブラートをつけることができて、先生も、あれ、今日どうしたの?と驚くほどでした。
 それがだんだん身についてきて、初めて、自分の声が変わっていくのがおもしろいと感じ、歌をもっとちゃんと勉強してみたいと思いました。
 その後、先生からも大学院で勉強を続けることを勧められて、やがて留学する機会も得ました。
 振り返ると、進んでいくごとに、良い選択肢を与えてくれる方が必ず現れたように思います。自分の力ではない、導きのようなものがありました。今こうして歌うことができているのが、少し不思議に思えるくらいです。

―留学先としてアメリカを選ばれたのは?

 師事したい先生がいたからです。2004年に初めて小澤征爾音楽塾に参加したとき、ヴォーカルコーチのピエール・ヴァレーさんに出会い、私に合いそうな先生がいるから、ニースで開催されるアカデミーにぜひ参加するといいと勧められました。言われるがままに参加して出会ったのが、ニューヨークで師事することになる、ロレーヌ・ヌーバー先生です。先生は本当にマジシャンのようで、一週間で生徒たちの声がどんどん変わっていきました。私も本当にたくさんのことを吸収できて、この先生のもとで学びたいと思いました。
 先生は、生徒を型にはめて教えることがなく、すごい数の引き出しの中から、それぞれにあったやり方を選んで指導されます。また、発声や骨格など体のメカニズムを常に勉強していました。これほどのベテランでもずっと学ぶことをやめないのだと知って、そうなると私などは、当然もっと勉強しなくてはいけないなと思いましたね。将来教育に携わることができたら、先生のような指導者になりたいです。