取材・文 = 高坂はる香
ご両親ともヴァイオリニストという家庭に生まれ、幼少期からヴァイオリンに親しんで育ったテノールの宮里直樹さん。高校三年生で声楽に転向して東京藝術大学に入学。その後、東京音楽コンクール最高位入賞やヨーロッパ留学を経て、オペラやコンサートの舞台で活躍している。
ヴァイオリン一筋だった宮里さんが声楽の道を志したきっかけ、元器楽奏者ならではの意外な(!)真面目さ、そしてクラシック音楽への想いについて語ってくれた。
2020年6月 東京文化会館 「テノールの饗宴」
(写真提供:東京文化会館/©堀田力丸)
―お父様はNHK交響楽団の奏者、ご両親ともヴァイオリニストということで、ヴァイオリンとの出会いもごく自然なものだったのでしょうか?
物心つく前のことなので記憶はありませんが、母によると、兄が練習しているのを見て僕のほうがヴァイオリンを好きになり、習い始めたそうです。兄のほうは、強制的に習わせられることが嫌だったのか、やめてしまいましたけれど。
はじめは父に習いましたが、とにかく厳し過ぎて、すぐ嫌になってしまって(笑)、その後は母に習いました。
親が教えてもうまくいかないとはよく言われることですが、今はその通りだったと思います。例えば家族旅行の後のレッスンで練習不足を怒られても、状況を知っているでしょうと言い訳ができてしまう。ヴァイオリンは好きでしたが、少しずつ甘えが出て、伸びなかったのかもしれません。
―それでも、高校生まではヴァイオリン一筋だったのですよね?
はい、東京藝術大学をヴァイオリンで受験しようと、一生懸命練習しました。そんななか、あるときから山本直純先生が創設したジュニア・フィルハーモニック・オーケストラに参加するようになりました。するとそこには、同世代はもちろん、年下でも自分より段違いでうまい子がたくさんいたのです。もしかすると向いていないのかもしれないと思う瞬間が増えていきました。
小学校時代、両親が主宰するヴァイオリンの発表会にて
―そこから声楽に関心を持つようになったきっかけは?
クラシックバレエを習っていた3歳年下の妹が、宝塚音楽学校を受験することになりました。当時高校3年生だった僕は、彼女の歌のレッスンにピアノ伴奏でついていったのですが、先生から「お兄ちゃんは歌わないの?」と言われて。当然お断りしたのですが、なんでもいいから少し歌ってといわれて、歌ったんです。
すると翌日、朝早く先生から自宅に電話があって、「息子さんは歌をやったほうがいい、どうにか始めさせられないだろうか」と熱心に勧誘されました。すると父も、ヴァイオリンを続けても先がないだろうから挑戦してみればというので、そこから東京藝大は歌で受験することにして、勉強を始めました。
最初の年は合格できませんでしたが、2年目に無事合格できました。ヴァイオリンをやっていた頃のジュニア・オーケストラの同期はみんな優秀で、かなりの人数が東京藝大に入ったので、大学で会うと「なんで宮里今日ヴァイオリン背負ってないの?」とからかわれていました(笑)。
ちなみに妹は現役で宝塚音楽学校に入り、宝塚歌劇団で活動しました。最近は、二人で共演するコンサートも企画しています。
左は妹の花咲あいりさん
―ヴァイオリンの経験が歌の表現に生かされることはありますか?
言われることはありますが、正直、自分で意識することはあまりありません。ただ、楽譜を読むこと、特にオーケストラのスコアを読むのに慣れていることは、アドバンテージだと思います。
―逆に、多くの器楽奏者は声楽のように歌う表現を目指しますね。
そうですね。それで実は僕も、高校三年生より前に、歌心を身につけるために必要だからと一時期歌を習ったんです。でも、どうしても発声のトレーニングも必要になっていくので、嫌でやめてしまいました。
―何度も歌を拒否しながら、最終的にはその道に進んだという。
おもしろいものですよね。理由はわかりませんが、思い返せば小、中学校の頃から、音楽の先生はみんな、僕に歌をやったらと勧めてくれていました。そのたびに、いや、僕はヴァイオリンですから!と思っていたんです。今、当時の先生たちが演奏会に来てくださると、だから言っただろうとおっしゃいます(笑)。
―それでは、ご自身で歌の道に進んでよかったと手ごたえがあったのは、いつ頃ですか?
全日本学生音楽コンクールに挑戦し、大学一般の部全国大会で第2位と聴衆賞をいただいたときです。当時、先生からはもう少しじっくりと勉強してから受けなさいと止められたのですが、自分のレベルがどのくらいなのかを確かめたくて。
入賞できたことでようやく、自分のやってきたことがある程度は通用するのだとわかり、自信がついていきました。
―そして大学院を修了後、ウィーンに留学されます。
イタリアに留学したかったのですが、イタリアの情勢も鑑みた結果、先生からドイツ語圏への留学を勧められました。優勝したらウィーン留学ができるコンクールを受けて、無事ウィーンに留学しました。
ウィーンでもっとも刺激になったのは、クラシック音楽が生活必需品となっている環境そのものです。クラシックは日本だと特殊な趣味のように思われがちですが、ウィーンではまったくそんなことはありません。
オペラの劇場に行くと、ボックス席には親に連れられた子供が普通にいましたし、学生の僕は、立ち見席3ユーロでたくさんの公演を聴くことができました。住んでいたアパートは防音になっていませんでしたが、窓全開で歌っていたら上の階のおじいさんが「君、いい声だね」と声をかけにきてくれたこともありました。日本ではなかなかない経験ばかりです。
その後、6ヶ月だけ念願のイタリアで学びました。僕、もとは器楽奏者のメンタリティですからこう見えてすごく真面目なので、イタリアでもただひたすら練習をしていたんですよ。全然遊んでいません(笑)。
―留学中にどんなことを学びましたか?
ヨーロッパで歌ってみて、僕の声は決して通用しないわけではないと感じましたが、より効率的に声を出す必要があると思いました。また、もっと音楽を緻密に作り、それを表現するためにうまく声を乗せる技術もつけなくてはと思いました。
息の吸い方から直してもらい、体の筋肉の使い方も細かく教わって、少しずつエコノミックに歌えるようになりましたね。とくにオペラを歌う上では必要な技術です。