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ピックアップアーティスト Vol.40 清水華澄の今

Interview | インタビュー

取材・文 = 高坂はる香

 ステージに現れ、澄んだ力強い歌声を発すると、その瞬間に空間が華やぐ。清水華澄さんはまさにそのお名前のとおり、華やかでエネルギーあふれる歌声とキャラクターを持つ、メゾソプラノ。ステージの外でも、おおらかな笑顔で周囲を明るくしてくれる彼女だが、その心の内にはさまざまな思いを抱き、ステージに立ち続けていた。
 2018年秋、札幌、神奈川、兵庫の3公演で、グランドオペラ共同制作・G.ヴェルディ作曲『アイーダ』のアムネリスという大役を務め上げた直後に、お話を伺った。

―まずは、音楽との出会いについてお聞かせください。お子さんの頃の最初のクラシック音楽体験は、どのようなものだったのでしょうか?

 ごく普通に、小学校の音楽の授業でした。授業中に聴いたヴィヴァルディの「四季」に心惹かれるものがあったようで、母にカセットテープを買ってもらいました。でも、そこからすぐにクラシック音楽が好きになったわけではないのです。子どもの頃のお気に入りは、仏像の写真集、バレエの本、妖怪図鑑でしたし、ヴィヴァルディの次に買ってもらったカセットは、たしか光GENJIでした(笑)。引っ込み思案で、人前に出ることは苦手な子どもでした。
 中学校ではソフトボール部に入部。真っ黒に陽灼けして、部活一筋の生活を送っていました。最初のターニングポイントが訪れたのは、中学3年生の頃。新しく赴任してきた音楽の先生が、クラスの担任になったのです。当時、私の中学の合唱部は弱小だったのですが、先生は合唱コンクールを目指そうと一念発起し、各部活から歌の上手な子をスカウトしていました。そんな中、なぜか私にも白羽の矢が立ったのです。楽譜も読めないままに参加しましたが、みんなでなにかをやるということが好きだったので、とても楽しかったですね。
 その後、高校でははじめソフトボール部に誘われたのですが、合唱部の練習風景を外から目にして、冷房の効いた部屋で練習できるならその方が良いなぁと思って、合唱部に入ることにしました(笑)。

幼馴染達と一緒に駆け回った幼少期

中学時代に夢中だったソフトボール

―そうして音楽の道がスタートしたのですね。

 はい。基礎知識もないまま、高校も音楽コースを選んで、合唱部の活動に明け暮れました。この高校時代の先生がとても熱心に指導してくださったおかげで、先生の母校でもある国立音楽大学に進むことになりました。音大を目指すといったときは、両親はもちろん親戚からも驚かれ、歌手なんてそうなれるものではないと将来を心配されましたが、私自身は、なんとかなるだろうと楽観的でしたね(笑)。
 大学、大学院でも、すばらしい先生、友人と出会えました。この時は、6年間ドイツリートを集中的に学びました。リートは、短い曲の中で世界を創らなくてはいけません。休符一つ、呼吸一つも音楽の大切なピースで、佇(たたず)んでいるだけで物語を表現することが求められます。この時に学んだことは、オペラの舞台に立つ上でもとても役立っています。
 大学院卒業後は、新国立劇場オペラ研修所に飛び込みました。周りはすごいレベルの方ばかりですから、必死でしたね。みんな小さな頃から訓練を積んでいるのに、自分はこの“楽器”だけでここまできてしまったと。実は、その思いは今も変わりません。勉強すべきことがたくさんあると、日々感じています。
 研修所時代には、いろいろな作品と出会い、また、舞台に立って演じる人間として自分を解放する方法を学びました。巨大な“チキン”が襲ってくる設定の即興劇をするレッスンなんかもありましたが、いつ思い出しても笑える楽しい思い出です(笑)。

―決して早いスタートではなかった中、こうして多くの舞台に立つようになった背景には、努力や恵まれた資質などいろいろな要素があると思います。ご自身を今の場所に導いた最も大きなものは、なんだと思いますか?

 確かに、まずこの“楽器”を与えてくれた両親、ご先祖さまには感謝しないといけませんね! あとはやはり、人との出会いです。その時々で出会った方々が、私が正しく歩いていけるように道を指し示し、導いてくださっていたと思います。

―それでは、音楽を真剣に学び始めてからは、他の道を考えたことはありませんでしたか?

 それが、あるんですよ。大学時代は、化粧品が好きでねぇ……デパートの売り場でアルバイトをしていた頃は、化粧品のブランドに就職して美容部員になりたいと思っていました。かなり夢中になりましたが、試験など何かのきっかけで、結局は音楽の勉強に引きもどされて。そうして、歌の道を進むことになりました。

―新国立劇場オペラ研修所修了後、イタリア留学を経て、二期会に入会されました。二期会オペラデビューは2007年、初めてのオーディションで射止めた、ヴェルディ『仮面舞踏会』の占い師ウルリカ役です。初舞台の思い出は?

 大学の先輩や同期の仲間と一緒だったので、自分のデビューも心配でしたが、仲間の成功も祈っていた、思い出の舞台です。今思えば、ウルリカは、私が“魔女街道”を走る、最初の一歩になりました。当時は、こうなるなんて思っていませんでしたけれど(笑)。粟國淳さん演出のステージは、本当に美しかったです。

東京二期会オペラ劇場/G.ヴェルディ『仮面舞踏会』ウルリカ
(2007年9月 東京文化会館 撮影:鍔山英次)

 二期会では、その後もいつも自分にとって良いタイミングで、良い役に挑戦することができました。2018年2月の二期会オペラ『ローエングリン』でのオルトルート役との出会いも、私にとっては宝物です。
 二期会のスタッフやマネージャー、クライアント先の方々が、私のことをよく見て、間違いのない仕事を与えてくださったおかげで、信頼関係の中で活動してこられました。

東京二期会オペラ劇場/R.ワーグナー『ローエングリン』オルトルート
(2018年2月 東京文化会館 撮影:三枝近志)

―さまざまな舞台に立ち、キャリアを積んでくる中、音楽的なターニングポイントはありましたか?

 20代後半から小澤征爾音楽塾に参加し、小澤さんの音楽に触れる中で得たものは、とても大きかったです。小澤さんの一振りで生まれる音、さらには小澤さんの存在自体から、さまざまなことを学びました。
 セイジ・オザワ 松本フェスティバルでは、小澤さんのために世界中から一流プレイヤーが集い、一夏を楽しく過ごしながら最高峰の音楽を創り出します。そのこと自体が奇跡ですよね。このフェスティバルでカバーキャストに入れてもらい、マエストロ、ファビオ・ルイージに出会ったことは、自分をもっと磨きたいという気持ちを抱くきっかけになりました。

2007年小澤征爾音楽塾『カルメン』パリ公演リハーサルでの一枚

 一方で、音楽というものは、こうして引っ張りあげてもくれるけれど、突き落としもすると感じる経験をしたのも、このフェスティバルでした。
 それは2年前の2016年のこと。サイトウ・キネン・オーケストラによるベートーヴェンの交響曲第7番があまりにもすばらしく、衝撃を受けました。小澤さんが真ん中にいて、娘や息子、孫のような楽団員さんたちが周りを囲んでいる。一つの楽章が終わると、小澤さんの体力が回復して再開できるようになるまで、みんなが静かに待ったり、小澤さんに飲み物を渡したりしていました。その姿は、まるで家族のように見えました。
 この方達のような信頼関係、絆から生まれる音楽は、私には一生かかっても創ることはできないかもしれない。彼らがいれば、音楽の世界は十分なのではないか。私にあるのは、この身体という楽器だけ。磨いたところで理想には遠い。そう思ううち、自分の存在意義を問い、なぜ生きているのだろうというところにまで考えがいってしまいました。
 人生で立ち上がれないほどに落ち込んだのは、この時が始めてでした。外で歌っている時はとても元気だったんですけれどね、家に帰って一人になると、落ち込みました。

―そんな気持ちを、どのようにして乗り越えたのでしょうか?

 突然、これまで避けてきたこと、嫌いだったことに目を向けたら道が見えてくるのではないかと思いついて、初めて自主公演のリサイタルを開催することにしました。まずはそれまでがんばって生きよう!と思うことにしたのです。
 それが、2018年6月、「未来の自分へ」と題した紀尾井ホールでの公演でした。逃げてきた課題は、いつかかならず目の前にやってくる、それなら今やってみようと覚悟を決めました。人前で歌ったことのない演目を選び、収録にも入っていただくことで、自分を追い込みました。
 リサイタルを終えて、正直、今でも自分が生きる意味を完全には見つけられていません。でも、計画を立ててリサイタルの準備を進める中、初めてのことなのに不思議とそういう感じもなく、それはこれまでの私が助けてくれているのだ、つまり、自分がやってきたことはゼロではなかったのだと実感することにはなりました。普段は極限まで緊張するのに、この日はずっと笑っている自分がいました。リサイタルのお客さまはみんな、私を応援したいと思ってくださる方ばかりだったというのもあるかもしれません。
 今までの自分と新しい自分が共存しているような感覚でした。

―そして2018年の秋には、グランドオペラ共同制作「アイーダ」のアムネリス役をつとめ、札幌文化芸術劇場hitaru、神奈川県民ホール、兵庫県立芸術文化センターの舞台に立たれました。公演を終えて、いかがですか?

 『アイーダ』は、私にとって「祈り」と深く結びついている演目です。2011年、びわ湖ホール・神奈川県民ホール・東京二期会共同制作の『アイーダ』で初めてこの役を務めることになったときは、自宅での練習中に東日本大震災が起こりました。今でも、どのフレーズを歌っているときだったか覚えています。その後は音楽どころではなくなり、神奈川県民ホールでの公演は中止となりました。
 今回は7年の時を経て、相手役の福井敬さんはじめ何人かは同じメンバーで、同じホールの舞台に立つことができたわけです。当日は、奪われた魂にむかって祈るような感覚でした。
 札幌公演は、札幌文化芸術劇場hitaruの杮落としという貴重な舞台でしたが、1ヶ月前に大きな地震が起きて開催が危ぶまれた中での上演でした。そして、兵庫県立芸術文化センターは、阪神淡路大震災からの復興のシンボルとして建てられた劇場。地震と関係の深いツアーでした。
 災害が起きたときに音楽で何ができるのか、その答えはわかりません。でもとにかく、東日本大震災以降実感しているのは、毎日を無事に迎えられるということがどれほど奇跡的かということ。そう思って振り返ると、どの公演も特別です。
 『アイーダ』は、全公演を無事にやり遂げ、お客さまが笑顔で帰ってくれたことが大きな喜びでした。自分の無力さはいまだに感じますが、結局は歌うしかないのです。

―アムネリスという役については、どんな思いがありますか?

 大好きな役です。かわいい女性ですもの、みなさんも大好きでしょう(笑)?
 アムネリスは幸せで権力もあると思われているけれど、実際、力があるのは王である父親で、彼女自身はカゴの中の鳥です。彼女が愛する人にできることは、王である父に恩赦を求めることだけ。私の人生をあげると言っても断られてしまう。傷つきますよ……でも、アムネリスはあきらめないんです。

2018年10月共同制作/G.ヴェルディ『アイーダ』アムネリス
写真提供:公益財団法人神奈川芸術文化財団

―2019年2月には、新国立劇場オペラ・西村朗『紫苑物語』(世界初演)で、うつろ姫役を務められます。大野和士芸術監督の、日本人作曲家による新作オペラ上演への思いが込められた公演ということで、注目を集めています。

 世界に通用する日本のオペラが生まれるのは嬉しいことです。全員でがんばって、作品の本質をしっかり伝えなくてはいけません。私にとっては、初めての日本語のオペラとなります。
 それにしても、うつろ姫は……とてつもない役です。普通、悪役にも何かしらの“あわれさ”が感じられますが、今のところ、そういう要素はひとつも発見できていません(笑)。日本のオペラ界では自分にしかできないだろうという気持ちで取り組むつもりです。
 6月のリサイタルでは『紫苑物語』があることを意識して、日本語の歌曲を探していたところ、「臨死船」(詩:谷川俊太郎、作曲:根本卓也)と出会いました。詩の最後、「音楽を頼りに歩いて行くしかない」という部分が、リサイタルの開催を決めた自分の心境と重なったこと、またこの一文を皆さんと共有したかったことから、プログラムに組み込みました。

―オペラ歌手の方は、いろいろな時代、立場の人生を演じる中で、人の何倍もの人生を体験することになりそうですね。

 そうですね、ある役を与えられたら、それがどんなに小さな役でも、背景にある人生や、その人がどのようにしてそこに存在しているのかを考えますから。そうすると、舞台での存在のあり方、物語の奥行きが変わってくるように思います。役に没入するので、辛い人生を送った人を演じるときは大変です。
 普段から、映画や小説などでも入り込みすぎてしまうので、触れるものには気をつけています。「塩狩峠」を読んだ後などは、1年くらい悲しみを引きずっていましたから……!

―オペラ以外に、オーケストラ作品の舞台でも活躍されています。また違った緊張感や喜びがあるのでしょうか?

 とにかくオーケストラの一部になりたいと思って歌っています。指揮者との関係も、オペラのときとはまた違ったつながりを感じます。
 実は私、オーケストラが本当に大好きで、演奏家のみなさんを心から尊敬しているんです。天才の集まりですから、私の歌声ではどうしても混ざることができない……そう感じるので、オーケストラ曲での共演はとくに緊張します。
 息抜きは、オーケストラのコンサートに通うこと。忙しくても時間を捻出して聴きに行きますし、楽屋口でオーケストラ団員の方の出待ちもします! 私にとって、アイドルのような存在なんです。大事な楽器を運ぶオーケストラのトラックの写真を撮ることも大好きです(笑)。

オーケストラのトラックにも心が躍る♬

―目指している声や表現、音楽は、どのようなものでしょうか?

 弦楽器の表現は、歌の表現を考えるうえでもとても勉強になります。とくに歌い始めや歌い終わりは、いつも弦楽器のような表現を心がけています。真の意味でオーケストラと混ざりあい、ともに進んでいけるように、表現力を磨いていきたいです。最近少しずつ、その感触を掴めるようになってきてはいるのですが、まだ完璧ではありません。声と表現を切り離さず、一緒に伸ばしていけたらと思います。
 オペラについては、これまで私は、口に出してやってみたいと言った役をやらせていただくことができて、本当に恵まれていました。これ以上何を望むのだろうと思うこともあります。今後、身体の変化とともに悩みも変わり、自分の“楽器”と話し合う時間も長くなっていくと思いますが、これからも、そのときに出会った役とともに生きていきたいと思っています。