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ピックアップアーティスト Vol.37 池田香織の今

Interview | インタビュー

池田香織の今

池田香織は2016年東京二期会オペラ劇場『トリスタンとイゾルデ』イゾルデを歌った。美しく強さを秘めたイゾルデ姫を、しなやかに全身で表現、4時間に及ぶ舞台をつとめ、大きな喝采を浴び、NHKニューイヤーオペラコンサート2017にも出演。そして、今年2018年3月にはびわ湖ホール『ワルキューレ』でブリュンヒルデを歌う。精密な音楽性とスケール感のある歌唱で高い評価を得ている池田は、一般大学で法律を学び、一度も音楽大学の声楽科を通ることなくオペラ歌手としてキャリアを積んだ、異色の経歴を持つ。

―始めは、聖歌隊

私立田園調布雙葉に幼稚園から高校まで通いました。カトリック系の学校で、聖書を読んだり、聖歌を歌ったりする機会が多くありました。後に、声楽家として宗教曲を歌うようになり、聖書の物語が自然に自分の中にあることに気づきました。西洋音楽では、神と人間の関係は信仰と深く関わるし、物語としても描かれますから。

―楽器を習っている同級生も少なくなく、池田もピアノ、ヴァイオリン、バレエを習った。

祖父に、雛人形を買ってあげる、と言われてデパートに行ったとき、雛人形はいらないから、ヴァイオリンがほしい、とねだって買ってもらったのです。近所にとてもよい先生がいらっしゃって、生徒も皆優秀で、芸大を目指す人もいました。でも中学校1年にフィリピンに父が転勤になり、一家で引越しをしなくてはいけなかったのと、楽器がフルサイズになり、ヴァイオリンは楽器も高価でしたので、辞めることになりました。両親は習い事としてレッスンを受けさせてくれましたが、専門に進ませることはまったく考えていなかったのです。ところが私は「歌だったら楽器はいらない」と思って、歌を勉強したい、と。私の両親や、親戚知人に、音楽家も、自由業、自営業の人もいなかったので、音楽を職業とする環境にはありませんでしたから、私が音大に行きたい、と言うと猛烈な反対を受けました。
「ものになるのか」「生活していけるのか」という親心もあったと思いますが、むしろ音楽家という道は、歌舞伎と同じで、それ相応の環境にあり、特別な才能がある人が進むもの、と思っていたようです。 学校時代は音楽や体育は3で、むしろ学科の方がよくできましたので、それもあって両親は、進学させるつもりでした。教育熱心といってよく、塾にも通っていました。
進路を決める段になって、音楽を勉強したいなら、自分のお小遣いでやるように、と言い渡されました。

―大学は法学部に進学し、家庭教師のアルバイトをして、声楽のレッスンに行った。

音楽大学の学生と同じようにやっていけるのかどうか試したくて、二期会の研修所の試験を受けたのは21歳のときです。当時、ソプラノでした。『ランメルモールのルチア』のアリアや、『セビリアの理髪師』のロジーナなどを歌っていました。高い音はわりと苦労しないで出たのです。
今もそうかも知れないのですが、若いときにあまり重いものを歌うのはよくない、ということで、軽めの役を与えられることが多かったのです。でもメゾソプラノの研修生が欠席の時などに、代わりに歌うようになると、自分ではメゾかもと思い始めました。「メゾなら、バッハとかモーツァルトとかロッシーニを勉強するように」と言われて中音域のアジリタなどを一生懸命練習しました。声楽家は楽器としてアジリタもできるようにしておかなくては、と考えたのです。(当時はワーグナーを歌うようになるなんて思いもしませんでした。)

二期会のスタジオでは予科、本科を卒業し、さらにマスタークラスへ進級したかったのですが、学資が続かず、断念。一緒に学んでいた研修生の多くは、両親の理解を得て経済的な支援もありました。長期休暇に、「皆でドイツへ研修旅行に行きましょう」と誘っていただいたのですが、航空券、滞在費、オペラ鑑賞、レッスン代などで50万円ほどかかると聞いてあきらめたこともあります。
大学を卒業すると、一般企業(航空会社)に就職しました。音楽を続けられるように一般職で入社しましたが、若干名だけ選抜されて総合職と同じようなキャリアを積む部署へ配属されてしまいました。シフト勤務となり、早朝、深夜勤務もあり、音楽との両立が難しくなり半年で退職しました。このときも両親には叱られましたね。
でも自分では、アルバイトして何とかなると思っていたのですね、どうしても音楽がやりたかったのです。

―その後、二期会合唱団で、歌うようになりました。

1993年頃から、二期会の舞台に合唱として立ちました。一般大学を卒業した経歴を持つ歌手も、その後、留学したり音楽大学や大学院で専門の教育を受けたりすることが多いのですが、私は一流の歌手が、稽古場にどのような準備をして臨むのか、一ヶ月に及ぶ稽古期間をどのように過ごし、本番に向けてどのようにコンディションを調えるのか、共演者とどのようによい関係を作っていくのか、すべて実地で学びました。それに合唱の時から、現場で二期会のマネジャーが助言してくれて、私がソリストとして活動するようになっても見守ってくれました。舞台を通して長い関係を築くことができたことは、貴重なことと思っています。

―97年に新国立劇場のこけら落としの演目のひとつ『ローエングリン』でオルトルートを歌っていた小山由美の声を聴いたとき、この人だ!と思い、師事することを決意。その翌年二期会『タンホイザー』(小山はヴェーヌス役)終演後、師事を願う。当時、小山はドイツに住んでいて多忙。1年に1回とか2回のレッスンだったので、ほかに見てくれる方を、と小山も言ったが、自分で自分の声に納得していなかったので、他にはつかなかった。

その間は自分で工夫して勉強する、という貴重な時間を持ったのだと思います。大好きだった、アンネ・ゾフィー・オッターのCDを何度も何度も聞いて一緒に歌ってみたり、ブレス(息遣い)をひとつずつ真似してみたり。

―外国語に関して

中、高校と英語教育に熱心な学校でしたし、フィリピンで生活していたときインターナショナルスクールに通っていたので、英語は話せますが、私自身は母語と同じくらいストレスなく表現できないと「話せる」ということにはならなくて、まだまだ勉強です。オペラの仕事では、イタリア、ドイツ、フランスと各国から歌手やスタッフと一緒になりますので、コミュニケーションをとるためにも、積極的に話します。

―オペラは団体競技

かつて、飯守泰次郎先生や小山由美さんとご一緒したとき、「共演者とは一緒にご飯を食べて、たくさん話しなさい」と言われました。オペラは団体競技なのです。私が『蝶々夫人』のスズキを演じるとき、本番までは、舞台の上でも楽屋でも、蝶々さんの絶対の味方でいようと思うのです。共演者が、稽古の間に何かうまくいかなくて孤立したりすることもあります。そういうときも、私はその役に徹し、心から寄り添います。舞台ではいろいろなことが起こります。急に代役がたつことになったり、声の調子がよくなくて神経質になったり、思わぬことがあって舞台に集中できなかったり。舞台上では共演者しか助けられません。だから全力で助けあうのです。

『トリスタンとイゾルデ』の稽古場にて。スタッフの誕生日を祝って。

イゾルデ(写真提供:東京二期会/撮影:三枝近志)

―ワーグナーを歌うために

イゾルデを歌うことになった時、1年間かけてこの役を自分の中に入れました。1幕と2幕は出ずっぱりですから、立ち稽古の前に、水を飲まずに歌い通せるかどうか、また続けて2日間、全力で歌えるかどうか、試しました。稽古のときにやっておかなければ、自分で自分ができるかどうか、わからないからです。やってみてできる、というデータがあれば、安心ですし、調子が悪いときの対処の方法もわかります。
本番の衣裳は、とても美しいものでしたが、厚手で重く、そのスカートを張るために、パニエにも重量がありました。舞台は八百屋(奥に向かって傾斜がある)で、駆け上がる、というシーンは、もはやトレーニングでした。

かつて新国立劇場に来た、*サー・ジョン・トムリンソンという歌手が本番前、稽古からオケ合わせ、GPまでフルで歌うのに驚きました。彼は、グルネマンツを歌っていましたが、小姓たちの演技を返して稽古する、というようなときでも、抜かないでフルで歌うのです。驚いたのと尊敬をこめて、プレミエゲシェンク Premierengeschenke(初日祝いのプレゼント)のカードに「世界的な劇場で歌う歌手が、どのように本番へ向けて準備するのか、間近で知ることができました」と書いたら、打ち上げで話す機会があって、「個人差があるから、そうしなければならない、ということはない。でも僕は、フルで歌わないと自分が心配なんだ。だからそうするんだ」と。

グルネマンツのサー・ジョン・トムリンソンと。

初日に贈り合うギフト、プレミエゲシェンク。池田はオリジナルのステッカーやカードを添える。

私は小さいときは喘息児で、体が弱かったのです。
今も決して丈夫というわけではなく、本番のあとは1日寝てしまうこともあります。
3首(手首、足首、首)をあたため、冬は頭までフードをかぶって寝ます。
声にパワーがあっても、その役に相応しい体力がない、というのが長く悩みでした。
“稽古30分前にアミノ酸を半分飲み、稽古中も少しずつ飲み、終ったら残りを補給する”など、自分でいろいろ試します。スポーツをする人のブログに、疲労を早く回復させる方法、捕食後、効率よくエネルギーに替える方法、休養の取り方などが書かれているので、参考にしています。

―2017年の秋は京都で、カルメンを歌った。

とてもよい評価をいただき、うれしいです。ビゼーが音楽に書いたとおり、テキストのとおりに表現してみようと思いました。カルメンの魅力は安っぽい色気などではなくて、「自分の思うように生きる」というシンプルなもの。その自然で、自由な生き方に周囲の人が魅了されるのです。

2017年11月京都コンサートホール
日中韓共同コンサート(カルメン)にて

―2018年3月にびわ湖ホール「ワルキューレ」のブリュンヒルデを歌います。

ブリュンヒルデの前に、ジークリンデを歌いたいと思っていましたが、今なら大丈夫と思います。ジークリンデは人間ですが、ブリュンヒルデは若いけれども神々の世界の存在。お客様もワルキューレたち(ワルハラの戦士)の登場シーンは期待しています。私は顔が童顔というか少年っぽくて、役が合わない(メゾソプラノには母親役とか悪役が多い)といわれてきましたが、それがブリュンヒルデなら生かせます。声も、この役に合うようになってきたと思うのです。今回の共演の**ユルゲン・リンさんは新国立劇場でご一緒しましたし、小林厚子さんも***「わ」の会でご一緒しました。楽しみです。

小林厚子さんと。ドイツのオペラ作品が声に合うからと口説き、「わ」の会でも共演。

敬愛する指揮者飯守泰次郎先生は、毎回「わ」の会にお越しくださいます。

―闊達で、舞台を愛してやまない池田香織。「ぴよきち」の愛称も持つ。歌をやりたい、といった当初は両親にはずいぶん反対されたが、今では「娘が今度、オペラの舞台に出演するんです」とちょっと自慢そうに話していたりするそう。

大きな役を歌うということより、どんな役でも、素晴らしい人と一緒に仕事ができることが、本当に楽しい。そういう現場で、一緒に作り上げていく仕事をすることが、何よりも幸せ、と思います。

*サー・ジョン・トムリンソン Sir John Tomlinson
英国・ランカシャー生まれ。これまでに英国ロイヤルオペラ、メトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場など名だたる歌劇場で活躍。バイロイト音楽祭には88年より18年間に渡って出演し、ヴォータン/さすらい人、ハーゲン、グルネマンツなどを歌っている。

**ユルゲン・リン Jürgen Linn
2016年新国立劇場『ロ―エングリン』テルラムント、2009年『ラインの黄金』アルベリヒ、2015年『ばらの騎士』オックスなどで出演。

***「わ」の会
吉田真(ワーグナー研究家)、城谷正博(指揮)、木下志寿子(ピアノ)、池田香織(Mez)、片寄純也(Ten)、大沼徹(Bar)、友清崇(Bar)、大塚博章(bass)を中心に、ワーグナーのオペラの魅力を紹介するコンサートを企画。毎回ゲスト歌手を迎え、ワーグナーのオペラをともに学び、コンサート形式で披露している。
https://ja-jp.facebook.com/wanokai.wagner/