テノール歌手 経種廉彦(いだね やすひこ)氏は、2014年7月17日すい臓がんのため、ご逝去されました。
享年52歳。ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
本特集ページは、2011年10月15日に開催されたリサイタルに向けて、2011年9月に掲載したものです。
在りし日の経種氏を偲び、インタビュー、写真、ムービー等ご覧いただけますと幸いです。
――今回のゴールデンコンサートでは、前半に日本の歌、後半にトスティというプログラム構成になりました。ここにはどのようなメッセージが込められたのでしょうか。
まず「言葉を大切にしたい」ということです。僕はこのリサイタルで日本語とイタリア語の歌にある「言葉」を大切に歌いたいと思います。前半の山田耕筰や中田喜直らの日本歌曲、後半のトスティの歌曲を歌えば歌うほど、その言葉と音楽の結びつきがすばらしい作品と気付かされます。
どのような言語であっても、その言葉が発せられた音そのものにすでに意味があって、それは言語の壁を超えていけるものだと思うのです。たとえば「さむい」とか「つめたい」という言葉は、口を開かなくてもいいような狭い音が基本になっていますよね。逆に「あたたかい」という言葉は、大きく開いたおおらかな音が基本になっている。こうした音のイメージというのは、正しく発声されれば、日本語を母国語にしない人たちにも間違いなく伝わるのだと思います。
外国語でも同じで、すぐれた歌曲の言葉を正しく発音すれば、「意味」は伝わるはずです。トスティの歌曲はその美しさに惹かれ、高校生のときから〈夢〉や〈理想の人〉などを歌ってきました。
トスティ歌曲において、僕にとっての理想の演奏家は、やはりホセ・カレーラスです。彼の叙情的で、言葉を語るような歌い口はほんとうにすばらしいと感じます。
――後半のトスティ歌曲には、「ある若者の恋の物語」というタイトルがつけられています。どんな雰囲気のステージになるのでしょうか。
歌と朗読とを組み合わせたモノ・オペラのようなスタイルで、トスティ歌曲の魅力をお伝えしたいと考えています。これまでも何度かトスティを僕の台本で再構成したステージを作ってきて、お陰様でとても好評をいただいています。今回は二期会主催のゴールデンコンサートでのリサイタルですから、より練り上げたステージにするつもりです。
照明も入れるので、お客様も物語の世界に入りやすいと思います。字幕がなくてもトスティ歌曲の魅力が伝わるはずです。
――前半の日本の歌の聴きどころも教えていただけますか。
〈さとうきび畑〉を機会がある度に歌っています。この歌は、ご存知のとおり反戦歌ではあるものの、もっと根本的な人間の想いの濃い歌だと思います。風に途切れる母の子守歌や、生まれる前に亡くなった父に「お父さん」と呼びかけること、「この悲しみは消えない」といった言葉が深く心に沁みます。
そして、ここで描かれている風や海や緑の自然が大きくて美しい。それは人間社会が変化しても不変な力を持っている。
実は、高校時代は理系でした。自然とか宇宙とかに対する興味が昔からあって、だからなのか、こうした自然の描かれる曲は大好きなのです。
中田喜直〈悲しくなったときは〉にも、これは寺山修司の詩ですが、スケールの大きな海が描かれていますよね。僕は、こうした人間がどうしてもかなわない大きな存在としての自然に強く惹かれます。
Vol.35「経種廉彦 テノール」 |
――経種さんが声楽を本格的に目指すようになったのはいつ頃なのでしょうか。
高校2年生です。僕は島根県松江の出身ですが、その頃最初の恩師との出会いがあり、藝大を目指し始めました。僕にとって、かけがえのない素晴らしい先生です。「お前は藝大に入る子だ。頑張れよ、祈っちょるけんな!」とものすごいエネルギーをもらいました。
歌に目覚めたのは中学生の頃。声変わりを過ぎた後の音楽の独唱テストのとき、思いの外いい声が出たのです。音楽の先生に褒められたのですが、自分でもいい声が出たなあ、と思いました(笑)。テニス部でしたが、引退すると夏は合唱部の男声の助っ人に誘われて、合唱部としてコンクールに出場していました。
とはいえ、歌の道が平坦だったわけではありません。こうして藝大に入学した後も、大学院2年生まで、僕はずっとバリトンだったのです。
大学院2年のときの、カルロ・ベルゴンツィ氏の公開講座で、僕は『リゴレット』の“悪魔め、鬼め”を歌いました。するとベルゴンツィ氏は「みなさんに言っておかなければならないことがある。彼はテノールだ!」と、満員の藝大の第一ホールがやんややんやの大騒ぎになったのを覚えています。なぜだか分りませんが、その瞬間迷うことなく転向を決め師匠の原田茂生先生のところへ行き「テノールになります」と伝えました。すべては導きですね。
二期会創立50周年記念・ベルギー王立モネ劇場との提携公演
ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』 演出:クルト・ホレス
2002年8月4日(日) 東京文化会館大ホール
ザックスの徒弟ダーフィット:経種廉彦 騎士ヴァルター:福井敬
Photo:K.MIURA
二期会創立50周年記念・ベルギー王立モネ劇場との提携公演
ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』 演出:クルト・ホレス
2002年8月4日(日) 東京文化会館大ホール
ザックスの徒弟ダーフィット:経種廉彦 ハンス・ザックス:多田羅迪夫
Photo:K.MIURA
びわ湖ホールプロデュースオペラ |
東京二期会オペラ劇場 ワーグナー『さまよえるオランダ人』第一幕より
演出・舞台美術:渡辺和子
2005年11月5日(土) 東京文化会館大ホール 舵手:経種廉彦
撮影:堀衛
新国立劇場オペラ |
沼尻竜典オペラセレクション
アルバン・ベルク『ルル』 演出・装置:佐藤信
2009年10月4(日) 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホール
画家:経種廉彦
写真提供:びわ湖ホール
第9回カノラ芸術祭 創作オペラ『御柱』 演出:加藤直 2010年11月28日(日) 岡谷市文化会館(カノラホール)大ホール ミナカタ:経種廉彦 合唱団:カノラ芸術祭合唱団 |
G.ビゼー『カルメン』(セミ・ステージ形式) |
――経種さんは、ホームページを拝見すると、陶芸や執筆など音楽以外の様々なアートに興味をもって、それらを吸収しているように思います。
色々な芸術を実際に体験してみることが好きで、幸いなことにそれらは音楽にかえってきてくれます。演劇を月に一度くらいは観に行ったり、武芸では柳生新陰流の稽古にも出ます。
若い頃からお世話になった演出の栗山昌良先生の影響は大きいですね。先生は演劇も歌舞伎もお能も美術もよくご覧になっていらっしゃいます。「歌舞伎のあそこのように…」と言われて何も分からないようでは恥ずかしいので、先回りするくらいのつもりでいないといけません。そうした方々のご指導に恵まれたことは幸せです。
おかげで台本を書いたり、舞台での芝居を深めたり、必ず自分の仕事の糧になっています。声楽を志す若い方たちにも、色々な芸術に触れて欲しいと思います。自分の教え子には、小説を読ませて感想文を書かせたりもしますよ。それが歌い続ける上でも大事だから。好奇心をもって実行することが大切なんだと思います。
好奇心といえば、アート以外に僕の趣味というか興味があるのがパソコン製作なんです。つい先日大改造をして新型にしたのが自作5号くらいでしょうか。まあ部品を買ってきて組み立ててインストールするということでそれほど難しいことではありません。それと中学生のころから好きなカメラ、そして車にも結構こだわりを持ってま
す。そうやって自然界に密接なことや割と古くから伝わるもの、そしてそれと対極にある最先端技術との両方に興味を持ってバランスをとっているのかもしれません。
――充実期を迎えた魅惑のテナー、経種廉彦さんのリサイタルに期待しています。