取材・文 = 高坂はる香
2019年11月 東京二期会オペラ劇場 オッフェンバック『天国と地獄』オルフェ役
日生劇場(撮影:三枝近志)
―音楽家の道は厳しいものだと思いますが、それでも進んでいく支えとなっているものはなんですか?
自分自身がレベルアップできているという感覚ですね。
舞台で拍手をいただくことはもちろん嬉しいけれど、それよりも、目指した表現ができることのほうが嬉しい。前よりこれができるようになった、新しい意味を見つけたということの喜びは、練習でも本番でも、ほとんど変わりません。
私が好きなゲームの例えでいうと、ロールプレイングゲームで、はじめは大した武器も持たず、簡単な敵を倒すにも苦労していたのが、徐々に強くなることで、一度で倒せるようになる。だからおもしろいし、夢中になります。はじめからムキムキで、どんな敵でも簡単に倒せたら、つまらないし何のドラマも感じませんよね。
音楽家としてのことに話を戻すと、技術的な練習はもちろん、例えばオペラに少しでも関係ある古典文学を読み、さらに関連する別の文学もどんどん読んで、徐々にレベルアップしていくことが楽しいんです。そして自分が成長すれば、会える人も変わるし、そういう方々と対等な自分でいられるよう、また努力しようと思えます。
ただ、こうしてあれもこれも勉強しようとしていると、本当に時間が足りません。あっという間に人生が終わってしまう…。
もともと私は器用でなく、センスでどうにかすることもできません。しっかりしたメソッドで教えてもらうことで、体得するしかないんです。最近はダンスを交えた演目の練習をしているのですが、これが本当に難しい(笑)。走ったり飛んだりする身体能力は高いほうだというのに、とにかく不器用なんです。
でも、目標にたどり着きたいというモチベーションだけは高い。それが私を支えている、最も強い部分かもしれません。
―過去3回にわたりイタリア留学をされていますが、3度目は、すでに忙しく演奏活動を行う中、それを休止したうえでの4年間の留学でした。
仕事を増やすことだけが目標なら、そのまま日本で活動していたほうがよかったのかもしれません。でも自分にとってあの留学は、やはり必要でした。立ち止まって考えることが必要なタイプなのです。
―最後の留学で得たものはありますか?
なにが出来るようになったと明言するのは難しいのですが、ただひたすら、大事な点に向かっていく時間でした。その時理解できなかったことが今になってわかるようになることもあり、積み上げたものは確かに自分の中にあったように思います。
今年、コロナの影響で多くの公演が中止になったあと、演奏活動再開の場となった8月の東京文化会館でのリサイタルは、海外研修の成果発表の締めくくりでもありました。こうして学生の時期は一度終わったわけですが、今でもまた機会さえあれば留学したい気持ちがあります。
昔の巨匠、たとえばピアニストのルービンシュタインも、そうして休んで学ぶ時間をとっていましたよね。集中して勉強する時間をとりながら活動をしていくことも、一つの選択肢ではないかと思っています。
―ところで、お子さんの頃は目立ちたがりで負けず嫌いだったとか。
今も目立ちたがりですし、負けたくないですよ! さすがに昔のような、全部のことで勝ちたいという気持ちはありませんが。
子供の頃は、本当にすごかったんですよ。生徒会長、応援団長、吹奏楽部の部長、陸上部の主将と全部やって、勉強でも勝ちたいという感じ。周りはみんなシラけていたんじゃないかと思います(笑)。
今でも、舞台に立つことはもちろん、注目してもらったり、こうして自分の思いを伝えたりすることは好きです。そうして、活動する場所、会う人が広がるなかで、本当はできていないのにカモフラージュしているようではかっこ悪い、堂々といられるようでありたいという気持ちがあります。
中学時代、特設陸上部の仲間と
―鳥取県米子市ご出身で、観光大使も務めています。地元からの応援に感じていることはありますか?
本当にあたたかく応援していただいているので、これからも、自分が見た素敵なものを故郷に持ち帰っていきたいです。
これまでは壁にぶつかると、こんなに成長できていない自分に何ができるのかと感じることも多かったのですが、最近はむしろ、アップダウンがありながらもがんばる姿を見せていればいいのではないかと思えるようになりました。
また、旅をしながらコンサートをして充実した気になっていたけれど、振り返れば故郷に行けたのは年1度だったりする。もっと届ける努力をしていかなくてはと感じています。特にコロナ禍で、ご高齢の方などは外出を控えています。どうしたらより多くの方に歌を届けられるか、考えていきたいですね。
―クラシック以外の曲も柔軟に取り入れていますが、レパートリーについてはどんな考えがありますか?
良い状態で良い歌を歌いたい。その考えのもと、クラシック以外も、唱法を変えずにできる範囲で取り組んでいます。それはなにより、より広く届けるという目標があってのことです。親しみのある曲を入口に、クラシックやオペラに関心を持ってくれる方がいるかもしれません。
王道の努力を続けながら、聴衆を広げる活動もしていく。必死にバランスを保ちながら進んでいます。
―今後、音楽家として一番大事にしていきたいことは、なんでしょうか。
とにかく、ベルカントのしっかりした唱法の中にいるということですね。日本での活動を中断してまでイタリア留学したのも、全部そのためです。シンプルに、発声の改善に努めていきたい。こういうと、技術のことばかり考えているように聞こえるかもしれませんが、実際、技術面で理想的なところに入っているときは、演技や感情表現も自然になります。
本当に目指しているのはその先のこと……共演者と瞬間の化学反応で舞台を創り、作品の深みを伝えること、そして発信する方法を模索して音楽を多くの人に届けていくことですけれど。
でもやっぱり、最初の一歩である歌うことを大切にする気持ちが欠けていると、すべてが虚しくなってしまいます。これからもその部分を大事に、謙虚に愚直に、勉強し続けていきたいです。