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Interview | インタビュー

東京二期会『コジ・ファン・トゥッテ』(宮本亜門演出・文化庁芸術祭大賞受賞)フェランドでセンセーショナルにデビューを飾り、完璧な技巧とリリックに澄んだ美声で聴衆を魅了した鈴木准。「マタイ受難曲」福音史家をはじめ、ヘンデル、バッハ、モーツァルトなどのオラトリオでも琴線に触れる瑞々しい歌唱を聴かせてくれる。
プロの声楽家をめざすまでと今後の方向性を伺った。

きっかけはアニメ どんな少年時代でしたか

鈴木:最初は部活にも所属しない帰宅部だったんですよ(笑)アニメが好きでしたから。小学校高学年の頃には、松本零士さんのSFアニメ『さよなら銀河鉄道999』劇場版を上演していて、そのLPレコード(サウンドトラック版)を買って自宅で夢中で聴いていました。

タミーノとの出会い

コジ・ファン・トゥッテ楽屋にて 
左より鈴木准 演出の宮本亜門さん、
共演の宮本益光

特に「大宇宙の涯へ —光と影のオブジェ-」という東海林修さんのシンセサイザーによる曲で、アンドロメダ星雲に入っていく壮大なシーンと相まって、衝撃を受けました。話はそれますが、YMO(イエローマジックオーケストラ)のようなテクノサウンドも大好きで・・・でも『さよなら〜』の「終曲 —戦いの歌—」の男声合唱や、エンディングで流れた「SAYONARA」という英語の歌、そして同じ頃の劇場版『伝説巨人イデオン』という作品のラストシーンの感動的な「カンタータ・オルビス」という大合唱も好きでしたね。これらが、人の声による音楽に惹かれるきっかけだったかもしれません。そして映像だけでなく、音楽も含めてその頃の人生の中心になっていました。

2006年 東京二期会『コジ・ファン・トゥッテ』(撮影:鍔山英次)

「皆と歌うことが楽しかった」 高校では合唱部へ

鈴木:札幌手稲(ていね)高校に進学し、合唱部に入部しました。僕が1年の時は部員が28人でしたが、それでもNHKコンクールで全国大会まで行くことができて、それからの3年間はすっかり合唱一筋の高校時代でした。皆で一緒に歌うということがすごく楽しかった時代です。卒業の時に合唱の顧問の先生から「声楽家になった方がいいんじゃないか」と言われ、進路の一つとして心は動きました。けれどピアノなども習っていなかったし、その頃はまだ「歌は趣味でやろう」という程度で、北星学園大学では心理学を専攻しながら声楽のレッスンに通っていました。すると面白いもので、レッスンしていくとだんだん高い声が楽に出るようになってきて、今考えてみると随分無謀な曲にも挑戦していましたね…(笑)。そんな折、何か目標設定を心に決めて、札幌市新人演奏会のオーディションを受けました。幸運にも合格でき、友人の合唱団でソロのパートを歌わせて貰ったり、演奏する機会が徐々に増えていきました。

2006年 東京二期会『コジ・ファン・トゥッテ』(撮影:鍔山英次)

歌がまだ趣味だった時代から歌で生きてゆこうと決めた日 それは… どんな仕事をしていてもいいけれど「歌を歌わない生活なんてありえない」と仕事を辞めて東京へ

鈴木:当面就職は音楽を続けられる職業と考えて音楽に関係する会社にしました。アフター5にはレッスンに通ったり、合唱の活動も学生時代と変らず続けていました。ですが企業から即戦力として期待されていたのに残業もままならない日もあり、最終的には直属の上司に「貴方は歌と仕事とどっちが大事か!」と言わせてしまって、至らなかったと反省していますが、一年半勤めた会社を辞めて、人生に悔いがないよう、きちんと音楽と向き合おうと決心しました。

会社を辞めてすぐ、7月に藝大の試験曲の発表がありました。受験での問題は副科のピアノでした。2ヶ月しても一向に弾けるようにならない。焦り始めたそんな時に、知人に紹介された先生の前でピアノを弾いてみせたら、あまりの出来に驚愕されて。5歳の子供から始めるように、特訓して貰いました。それはもう、ていねいに根気よく。そこでもしも、「あきらめなさい」と言われていたら、今の自分はいなかったですね。しかもがむしゃらにアルバイトをしながらも、受験のための準備をしていた僕を見かねて、先生はレッスン料もとらずに・・・いくら感謝してもしつくせません。歌、アルバイト、ピアノ、アルバイト、ソルフェージュ、アルバイトの 繰り返しという生活で、あっという間に時間は過ぎました。

いろいろなアルバイトをしましたが、2月には受験のための旅費や滞在費を得るため、氷点下10℃、極寒の札幌雪祭り会場で写真のフィルムや「写ルンです」を売るアルバイトをしていました。何とそこに地元テレビ局のカメラがやってきて名物アナウンサーのインタビュー、調子に乗ってノリノリで答えていたら・・・それが放送されてしまったんです。それを知った恩人のピアノの先生から、その日のうちに電話がかかってきて!・・・すごい勢いで叱られたのを覚えています。今でこそ笑い話ですが、受験前の歌手が風邪でもひいたらそれまでの努力も水の泡ですから、先生のお怒りももっともなことです。


2008年 日生劇場『魔笛』
(撮影:鍔山英次)

そして3月、無事に、というより奇跡的に合格することが出来ました。 合格発表で自分の番号があった時には、お世話になった先生方の顔が思い浮かび、涙が出そうなくらいうれしかったです。いや、実際号泣してしまいました。それからの藝大生活は、何から何まで新鮮でした。でも、実際に芸術としての歌を学び始めると、自分が何も知らない、本当に無知だということに愕然としました。入学当時は、大学で声楽を学べる喜びだけで無邪気でいられましたが、すぐにまた、必死に勉強する毎日になりました。でも受験の時のような追いつめられた感じはなく、1つ1つの経験を楽しみながらでしたが。

『魔笛』との出会い

2007年『魔笛』 兵庫県立芸術文化センター提供(撮影:飯塚隆)

鈴木:9月、実相寺昭雄演出『魔笛』にタミーノ役で出演します。
(2010年9月10日、12日 新国立劇場オペラパレス)

思えば藝大に入ってから毎年のように、なんらかのプロダクションで関わってきて一番たくさん出演した思い出深い演目ですね。初めてのオペラの仕事が『魔笛』の合唱でした。小澤征爾さんのヘネシーオペラ『魔笛』でも合唱に乗っていました。二幕最後、パミーナ役のバーバラ・ボニーさんがすぐそばでカゲ歌を歌った時、その伸びのある美しい声に感動しました。
学部時代に、日生劇場の鈴木敬介さんの演出で僧侶(神に仕える者)と、実相寺監督の演出で藝大オペラの武士を演らせて頂きました。その後、監督が2000年にはじめて二期会『魔笛』を演出されたときには、その藝大オペラの流れがあったので、僕も東京藝術大学声楽科有志として合唱で参加していたんですよ。今回のプロダクションで弁者役で共演する原田圭さんともそのとき、一緒でした。なんだかとても懐かしいですね。


新しい節目に向けて〜 母国語で歌うことの大切さ

鈴木:歌わない生活なんてありえないと東京に出てきましたが、すごく恐いなと思ったんです。というのは、どんな仕事にも保障なんて確かなものはないかもしれませんが、ごく普通の生き方から声楽家でやってゆけるのかどうか本当に悩みました。でも、歌だけは捨てられないなと心底思ったし、だからこそ一般の人に身近に感じてもらえるような演奏をしていきたいと今も思います。
文化だからというのでなく、歌が食事や息をするように無くてはならないものであることをどうしたら伝わるのかなぁ、といつも考えています。外国の文化だけど、今の日本には確実にオペラや声楽を必要としている人たちがいるのではないでしょうか。その楽しさをどう伝えるかが僕のテーマですね。

2009年 北とぴあオペラ『思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼』
(C)K.Miura

最近、特に若い世代でハリウッドのエンターテイメント性の高い映画では、字幕ではなく吹き替えで見る人たちが増えているといいます。こうした流れを「字幕離れ」と呼んで「活字離れ」と同じような流れでとらえる傾向があるようですが、今の人にとって、そもそも最初から字幕に親しんでいるわけではないから、「離れ」たわけではないですよね。外国の俳優の肉声を原語で、つまりオリジナルのままで聞きたいという欲求よりも、まずは気軽に作品を受容することを望んでいるわけです。そんな時代なら、僕が藝大に入った時がそうだったように、日本語訳詞でオペラを上演することは、オペラを楽しむ層の裾野を広げるために重要だと思います。そしてそのためには、聞き取りやすい日本語で歌うことをちゃんと勉強しなければいけませんね。
 たとえばイギリスにはイングリッシュ・ナショナル・オペラという、どんなオペラも母国語である英語で上演する団体があります。日本でも、そういった選択肢があってもいいんじゃないかと思います。また、今回の二期会/実相寺演出『魔笛』のように、台詞部分は日本語、歌唱は原語のドイツ語でというのも、ジングシュピール作品として、聴衆のことを考えて辿り着いた1つの必然だと感じます。

2009年 北とぴあオペラ『思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼』
(C)K.Miura

藝大の博士課程ではベンジャミン・ブリテンの研究をなさっていましたが …

鈴木:大学4年のとき、ブリテンの、トーマス・ハーディの詩による歌曲集「冬の言葉」に出会いました。特にその第5曲「聖歌隊長の埋葬 またはテノール歌手の物語」のもつドラマ性や、切り詰められた美しさを持つ音楽の虜になりました。ブリテンの歌曲の素晴らしさ、その奥深い詩の美しさなどに魅せられてゆきました。それまでは歌ったことのあるイタリア古典歌曲集では、愛の歌とか失恋の話が多かったですが、全然違う歌曲の世界があることを見出して探求心をくすぐられました。英語の語感が好きというのもありますが、イギリスの原風景を大胆なカメラワークで切り取ったような簡潔な美の世界がまさに存在していることに震撼としました。
藝大では、幼少から音楽を専門的に学んできた人たちにもまじって、毎日が新鮮でした。合唱のエキストラや聖歌隊など学費を稼ぎながら学生生活をしていたからか、思いのほか修了まで長くかかりました。でも長かった分、いい出会いがあって、ほんとうに沢山の方々にお世話になりました。

今年2010年3月に博士号を取得し、ようやく一区切りつきました。来年にはイギリスに勉強にいくチャンスがもらえそうです。ブリテンの歌曲はもちろんですが、オペラやいろんな舞台芸術にも触れてきたいと思っています。
今はまだ、新しくレパートリーを増やしていろいろな役を征服してゆきたいという欲求よりも、タミーノもフェランドも本当にもっともっと演じたい、深めてゆきたいという気持ちが勝っています。毎回、これでわかったというようなことではないですね。まだ演っていないオペラを含め、モーツァルトを極めたいという気持ちは、藝大で勉強を始めたときから、変わらぬ自己目標なんです。

共演の森麻季さんと楽屋にて

鈴木准がタミーノ役で出演する 2010年9月 東京二期会『魔笛』(新国立劇場オペラパレス)詳しくはこちら