二期会21
オペラの散歩道 二期会blog
二期会メールマガジン オペラの道草 配信登録

ピックアップ・アーティスト Pick-up Artist

ピックアップアーティスト トップページ

Interview | インタビュー

大人気の二期会オペラレパートリーで、再演を重ねてきた 故実相寺昭雄演出『魔笛』。前回(2007年)に引き続き、2010年9月タミーノとして出演する、テノール小貫岩夫の素顔に迫ります。

タミーノとの出会い

小貫岩夫(以下「小貫」) 1995年にまだ大阪音楽大学の学生だった頃、堺シティオペラで歌ったのが最初です。きっかけは前年に『リゴレット』のボルサ役とマントヴァ侯のカヴァーをしていたんですが、最初は“タミーノのカヴァーを”という話だったんです。ドイツのケムニッツ歌劇場との共同制作だったので、ダブルキャストでした。一方はドイツからの招聘キャスト。日本人キャストの本役の方もドイツと日本を往復する忙しい方で、なかなか稽古に出てこられませんでした。僕は学生で時間も沢山ありましたので、ドイツの演出家が来日し、音楽やディクションの稽古をしたりしているうちに、カヴァーの僕が歌っているのを聴いて「彼がいいんじゃないか」って事になり、いきなり、舞台に立つことになったんです。28歳の時のことでした。

1996年5月 ケムニッツ歌劇場公演『魔笛』を終えて出演者と

その時、テオ・アダムさんとも共演なさったんですね

小貫 はい。ゲネプロの前日のステージリハーサルの時にドイツから着いて、空港から直接舞台にいらして、いきなり出てきて弁者を歌われたんですが、長旅で疲れているにもかかわらず完璧な歌唱で、「ああ、プロフェッショナルってこういうものなんだ」と強く感じた瞬間です。事前に挨拶するとかでなく、舞台の上で初めてお会いして、という経験が新鮮でしたね。
そのプロダクションはドイツのケムニッツ歌劇場との共同制作でしたから、ザクセン州のテレビ局が日本に取材に来ました。
僕は学生の頃、新聞配達をしていて毎朝配っていたんですが、テレビ局の人が日本では『魔笛』の主役の歌手が新聞配達をするというのが、すごく珍しかったらしく、「ぜひ取材させてくれ」と新聞を配っているところなども撮影して、「新聞配達をする日本のタミーノ、これぞサムライだ!」みたいな紹介をされたのを覚えています。
翌年には「お返しに」とケムニッツの劇場に日本人キャスト3人が客演し、ドイツの劇場で歌うという貴重な体験をしました。

小貫岩夫(タミーノ)、テオ・アダム(弁者)

声楽家を目指したきっかけは。

小貫 もともと北海道から京都に出てきて、同志社大学でグリークラブに勧誘されて、それからですね。同志社は神学部に入ったんです。父が牧師をしていたので、そういう影響もあったのかな。特に牧師になろうと思って同志社に行ったわけではないんですが、北海道の周りの人たちは期待していたと思うんですけれど。道を踏み外したというか(笑)。

ちょうどグリーの一年目の定期演奏会で『メリー・ウィドー』を男声合唱に編曲したのを演奏することになり、その秋に二期会オペラの文化庁移動芸術祭『メリー・ウィドー』公演が京都に来たんです。
「じゃあ、グリー皆で観にいこう!」って行ったんですけれど、その時に二期会合唱団に入りたての姉や長谷川顯さんも出演していたんです(小貫さんの姉の長谷川光栄さんは、バスの長谷川顯さんと結婚)。 本格的で華やかなオペレッタの魅力に触れて、姉も出演しているし、グリーの仲間たちには鼻高々だったんですよ。それで舞台の世界への憧れが芽生え、興味が湧いたというのが正直なところです。

小さい頃、ヴァイオリンを少々習ったという素地はあったのですが、サッカーや野球、剣道などのスポーツもやっていたので、京都でグリークラブに勧誘されたのも、体格がよかったからじゃないですかね(笑)。けれどそれ以降、すっかり歌に魅了されて、結局、故郷の北海道に戻らずにさらに大阪音大に進むという選択をしました。 音大を卒業する際に、姉から文化庁オペラ研修所のパンフレットを貰い、「じゃあ、受けてみようかな」と、受けてみたら幸運にも受かったので東京に出てきたのです。大阪音大でオペラ演出家の中村敬一さんからも東京でも歌ってみたら?と言われていましたし、東京で自分の力を試そうという気持ちもありました。

06年二期会 『コジ・ファン・トゥッテ』※
右から小貫岩夫、与那城敬、佐藤泰弘

オペラ研修所時代に印象に残ることは何ですか。(小貫在籍時は新国立劇場の開場に伴い文化庁オペラ研修所が新国に移る前で、文化庁が二期会に委託していた最後の期となるが)22年間で11期までの素晴らしい歌手たちを輩出し、修了した方々から「オペラ以外にも総合的な見地から様々なことを学びそれが後々大変役立った」という声をよく伺います。小貫さんがいらした11期には幸田浩子さん、手嶋眞佐子さん、甲斐栄次郎さんなどもいらっしゃいました。人数も10人前後の精鋭でしたね。

小貫 今の新国の研修所でもダンスや日舞などはやっているんでしょうが、当時は研修所の所長で演出の栗山昌良先生が、「歌だけじゃなくて、ストレートな芝居もやらないとドラマを理解できない」とおっしゃって、モリエールの戯曲を皆、役付きで二期会の第一スタジオで演ったんですよ。歌わずに台詞を喋ったり、歌舞伎や能や演劇を観に行ったり、そうした経験がのちのち、大変役に立っているのを感じます。舞台に立つという事は、実際に見えている部分だけでなく、どれだけの準備が必要かということを一から教えて頂いた気がします。
一番ショックだったのは、『椿姫』のガストンをやった時に栗山先生から「君の演技は毒にも薬にもならないんだよ」と言われたことです。身分や役柄としての所作ひとつひとつまで、リアリティを求め、そのシーンのテーマを考えるとはどういうことかをそれからより深く意識するようになりました。
日舞の花柳千代先生が中国と共同で日舞と京劇の合体した舞台をなさって、そちらに僕らも出演することになり、国立劇場の舞台に立たせて頂いたり、貴重な体験を通してオペラの世界だけでない広い世界を見せて頂き、大変興味深かったです。

二期会の実相寺演出『魔笛』についてもお話いただけますか。前回2007年は監督が亡くなって直後の追悼公演でしたね。タミーノの衣裳もよくお似合いでしたが、動きも激しかったですね。

ムービーはこちら

07年二期会『魔笛』※
右から小貫岩夫(タミーノ)、山下浩司(パパゲーノ)

小貫 桃太郎みたいな衣裳ですね。和物が似合うって言われますが(笑)。タミーノ登場のシーンは大蛇に見立てた動き回る巨大な機関車に追いかけられるところから始まりますが、あの場面が結構ハードなんです。刀も結構重い刀を使っていて、その機関車に刀で切りこんでゆき、引きずりまわされるシーンです。その「タテ」(擬斗)の稽古をつけてくだっさったのが、ウルトラマンレオを演じていたすごい方(二家本辰己さん)なんですよ。思わずミーハーして、レオのフィギュアを買ってきてサインしてもらっちゃいました(笑)。
ほかに注目して頂きたいのは、パミーナとの火と水の試練の場面で、セットが大きく回転するシーンのスケール感もすごいですね。やはり映画監督ならではの空間使いだなぁと思いました。
ただ、セットの内部は真っ暗な迷路のようになっていて、回転する中を歩いていると、方向感覚が無くなってくるので、慣れるのが大変でした。

それから、第8曲で、ザラストロの神殿を目指すタミーノが、パミーナを探しながら笛を吹くと、野生の森の動物たちも聴き惚れて踊りだすという場面では、ウルトラ怪獣たちが出てきて、本当にもう感動でした。カネゴンとか、ジャミラやバルタン星人のような自分が子供の頃テレビで観ていた怪獣と同じ舞台で共演して、なんだかウルトラマンになった気分でしたね。そのウルトラ怪獣たちが自分の笛で踊りだして、楽しくなっていく。そしてウルトラ怪獣たちも一緒にパミーナを心配して探しに行くという、自分がウルトラ怪獣たちを従えて行くというのが本当に幸せで、皆さんにも感動して頂けると思います。
当時、5歳の息子がゲネプロを観て、だいぶ父親の株が上がりましたね。「あのウルトラ怪獣は本物なの?」と聞かれて、「もちろん本物だよ」と。

(C)円谷プロ 撮影:髙嶋ちぐさ

2010年9月 東京二期会『魔笛』(新国立劇場オペラパレス)詳しくはこちら

これまで一番の試練は何でしたか。

小貫 まさに初めてケムニッツ歌劇場のプロダクションで『魔笛』のタミーノに抜擢された際、初日と2日目の間の休みの間に腰痛になったハプニングがありました。その時は緊急で鍼灸師の方に針を打って貰い、置き針をして公演に臨みました。大蛇に襲われて倒れる時が大変でしたね。
それ以降、一時期、腰痛には悩まされました。
東京と地方で演奏会形式の『ファルスタッフ』に医師カイウスで出演した時にも、東京公演の前日の夜中に激痛に襲われ、針や整形外科に行って痛み止めを打ち、何とか乗り切りました。それが地方での本番の最中にもまた痛くなり、演奏会形式でしたから自分の歌う時以外は座っていられたので歌ったらすぐ座っていました。でもぶ厚いファルスタッフの譜面も譜面台から持って帰れず、カーテンコールにも出られない状態で、共演の福井敬さん、経種廉彦さん、澤畑恵美さんなどに抱えられるように楽屋へ戻って、衣裳も脱がせて頂いたことがありました。

今はいかがですか?

小貫 演奏活動を続けてゆく中で自然に僕の身体的キャパシティが広がっていったということもあるのかと思いますが、内服薬や物理的な治療をしたというのではなくて、ニューヨーク大学リハビリテーション学科教授のTMS理論(緊張性筋炎症候群)を説明した「Healing Back Pain」という本を読み、素直に理論を受け入れ、痛みの仕組みを理論的に理解して、いつの間にか痛みから解放されたという感じです。それ以来、もう何年も腰痛とは無縁の日々です。すごいでしょ?(笑)

小貫さんの声はリリックな中に強さもある二期会50周年記念公演『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の徒弟ダーフィットなども印象に残っていますが、今後演じたい役は何ですか。

02年二期会『ニュルンベルクのマイスタージンガー』※
田中誠(ヴァルター)と小貫

小貫 ヴェルディ『リゴレット』のマントヴァ侯爵です。歌い続けてきた中で、演奏できる曲の幅が広がってきたと思いますし、ドラマティックなものにも挑戦してゆきたいですが、やはり日々技術を磨いて軽いものもしっかり歌えるようにしてゆきたいですね。
堺でマントヴァのカヴァーをしていた時、僕のイタリアでの先生がマントヴァ侯爵を持ち役としていたんですが、“これが出来ればどんな役でも出来るんだ”と言っていたのを思い出します。音楽的にもそうですが、人間としても多面性を持っていて、一筋縄でいかないところが魅力的ですね。


ありがとうございました。益々のご活躍に期待しています。


※の写真は、鍔山英次撮影


■おぬきいわおのブログ
http://pierino.blog.ocn.ne.jp/pierino/