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ピックアップアーティスト Vol.25 黒田 博の今

Interview | インタビュー

2011年11月、ライン・ドイツ・オペラとの共同新制作で、 二期会創立60周年記念『ドン・ジョヴァンニ』(日生劇場・びわ湖ホール) に主演する黒田博。
 最初の『ドン・ジョヴァンニ』は黒田のオペラデビューでもある88年関西二期会での主演。佐藤信演出で25歳の時だった。2度目の『ドン・ジョヴァンニ』は2004年の宮本亜門演出によるもので、これは9.11ニューヨークテロ直後の廃墟を彷彿とさせる舞台となり、大きな話題を呼んだ。黒田にとって今回は3度目。カロリーネ・グルーバーの新演出でも新たな作品の魅力を引き出すに違いない。Photo:A.GONBI

モーツァルトには遊びの部分がある だから愉しい!

─黒田さんの十八番中の十八番として、フィガロに伯爵、パパゲーノにドン・ジョヴァンニと思い出される名舞台は数多いですね。

「モーツァルトのオペラは僕にとっての“陣地”だと思っています。中でも伯爵(『フィガロの結婚』)とドン・ジョヴァンニは音域的にも自分にとても合っていると思いますし、ドン・ジョヴァンニは音楽稽古の段階で沢山遊べる箇所があるので、今のところは好きにやらせて貰っています。レチタティーヴォ・セッコの表現は個々の演奏者の自由に任せられている部分も多いので、日によっていろいろ変化をつけ、どのようにしたらより効果的かと試しています。
完成された音楽の中で自由に遊ばせてもらえる、それがモーツァルトを演っていて愉しいところです。」

─何時も楽しそうに演じていらっしゃいます。

「そう見えていたら嬉しいです。天職だとは思っていますが、苦しいことだらけですよ。歌い手としての生活は、寝ている間も起きた瞬間もずーっと続いていて、土日がオフになっても次のオペラの譜読みをしたり、たとえ楽譜を開かなくても常に心のどこかで音楽のことを考えたり、体調を気遣ったりしています。夢の中までも音楽が頭を掠めていったりね。でも芸術で食べている人、スポーツで食べている人は皆さんそうなんじゃないかな。音楽家も常に次への臨戦態勢で生活している。そのしんどさも含め、自分が音楽家として生きていることの証、充実感に繋がっているともいえます(笑)。」

二期会公演より (C)鍔山英次

1997年10月『フィガロの結婚』 新宿文化センター
フィガロ:黒田博 スザンナ:大島洋子 伯爵夫人:佐々木典子

2004年7月『ドン・ジョヴァンニ』 東京文化会館

2004年7月『ドン・ジョヴァンニ』 東京文化会館

2006年9月『フィガロの結婚』 オーチャードホール 
伯爵:黒田博 伯爵夫人:佐々木典子

2006年9月『フィガロの結婚』 オーチャードホール
伯爵:黒田博(左)

自分に負荷をかける

─様々な役柄をもう60以上演じていらっしゃいますが、どうやって役柄を習得していますか。

「とにかく一生懸命立ち向かいます。オペレッタなどで最初に振付がついたときや、走り回る演技がついたときなど、ハアハアして歌えないような状態を快感に感じたりするんです。自分で無理って言ったらそこでおしまいだと思って、その演技で10回やったら、ちょっと息が安定して歌える、100回練習したらもう平然と歌える・・・って状態になるかもしれない。それが自分の訓練だし、やっていたら本当に自分のものになっていくんですよ。」

─ハードな動きで有名な宮本亜門演出のオペラには『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロの結婚』にもご出演なさっていますが、2001年ミュージカル『キャンディード』が亜門さんとの出会いでしたか。

「亜門さんとは2000年大阪国際フェス『コシ・ファン・トゥッテ』の演奏会形式で彼が構成を担当した時が初めてでした。翌年、ミュージカル『キャンディード』舞台初演をやろうという話になりました。この作品は、結構歌が難しいので、クラシックの演奏家がパングロス役をやるということになったんです。演奏会形式の公演でマキシミリアン役は何度か歌っていたのですが、パングロスはキャンディードの家庭教師で楽天主義の哲学者。かなりの曲者でいろんな性格描写や動きが求められる面白い役柄です。亜門さんはミュージカル歌手の方たち同様の動きを求めてこられました。僕も舞台人としての意地があるから負けるものかと、くらいつていきましたよ。ひとつクリアすると彼はさらにとどんどん負荷をかけてくるんだけれど・・。そうしたらある日、亜門さんが“黒田さん、貴方、本当にオペラ歌手なの?”って言ってくれて、僕にとっては最高の褒め言葉でしたね。」

宮本亜門演出「キャンディード」 
(C)PARCO劇場2001パングロス

2000年代、黒田博の出現はそうしたオペラ歌手は動けないという印象を払拭した。
その他にも02年、黒田は二期会創立50周年記念『ニュルンベルクのマイスタージンガー』ハンス・ザックスの大役に挑み、アルバン・ベルク『ルル』シェーン博士と切り裂きジャックという二つの人格を演じ分けたかと思うと、オペレッタでは『メリー・ウィドー』のウィットに富んだダニロ・ダニロヴィッチ伯爵を軽やかなステップで演じきり、『こうもり』のファルケやアイゼンシュタインで大人の魅力を発揮。さらには市川團十郎演出『俊寛』で平家討伐を謀った陰謀のかどで南海の孤島・鬼界ヶ島へ流された俊寛の絶望を壮絶に描いた。本当に変幻自在に役に自分を近づける才能には驚かされる。
そして08年、ペーター・コンヴィチュニー演出『エフゲニー・オネーギン』で親友レンスキーを撃ってしまったオネーギンの人間の絶望と愛情の極致を全身で表す姿を演じ切り、聴衆に強烈なインパクトを与えた。

2002年7月『ニュルンベルクのマイスタージンガー』 東京文化会館 
ハンス・ザックス:黒田博 ダーフィット:小貫岩夫
ポーグナー:長谷川顯 エーファ:林正子
撮影:鍔山英次

2002年7月『ニュルンベルクのマイスタージンガー』 東京文化会館
撮影:鍔山英次

2008年9月『エフゲニー・オネーギン』 東京文化会館
オネーギン:黒田博 レンスキー:樋口達哉
撮影:鍔山英次

2008年9月『エフゲニー・オネーギン』 東京文化会館
撮影:鍔山英次

─二期会創立50周年記念『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の頃、庭でラべンダーを育てていらして、稽古場のテーブルに飾ってくださっていたのが思い出されます。正味4時間半に及ぶ大作でベルギー王立モネ劇場との提携公演。黒田さん自身が育てたラベンダーの芳しい薫りは稽古場の癒しでしたね。
ところで、もし歌手になっていなかったら何をなさっていらしたと思いますか。

「ラベンダーのことは忘れていました。今でも育てていますが・・・育ってますといったほうがいいと思います。富良野ラベンダーです。歌手になっていなかったら園芸家・・・、いえいえ、中学生のころは伝統工芸の職人になりたいと思っていました。
東京に出てくると、何らかの結果、結論を出さないといけないような気がします。“でもそれは何か違うでしょ”と。結果や結論を求めていたら音楽なんかやってられないです。」

京都の下鴨で大学卒業まで過ごした黒田博のDNAの中には、やはり日本の伝統文化を愛する雅な感性が流れているのだろう。時間をかけてモノを作ったり考えたりすることや歴史を感じさせる文化的な土地にその精神が育まれた。
母は中学の音楽教師、父もクラシックが大好きで家にはいつも音楽が流れていた。そして鴨川のほとりや糺の森を走り回る少年時代。物心ついた時は、曲名は知らねども、モーツァルトやベートーヴェンの旋律を結構知っていたそうだ。シューベルトの「魔王」に魅せられ高校時代には合唱部に所属、運命の流れのままに京都芸大、東京藝大大学院へと進んだ。

「藝大大学院に合格したときは、プロの歌い手になるための修行と思って東京へ出てきました。当時はリート歌いになりたかったんです。それで二期会創立者の中山悌一先生にリートの手ほどきを受けるようになりました。本当に厳しいレッスンで、今の自分の礎になったと感謝しています。また、僕のお手本は中山悌一門下で現在関西二期会理事長でいらっしゃる蔵田裕行先生で、京都芸大の時にお世話になりました。関西二期会オペラで学生時代に合唱の一員として舞台に立っていましたが、蔵田先生の真摯な練習姿勢にはいつも頭が下がりますし、おいくつになられても年齢を感じさせない歌声と明晰な音楽性、人を惹きつける音楽を作り出す感受性には感動を覚えます。この師の姿が僕にプロとしてのレヴェル、自分が自信を持ってお客様に対して聴いて頂ける状態がなければ人前で歌ってはいけないという覚悟を教えてくれました。」

本質を究めてゆく

─現代における音楽の役割についてはどうお考えでしょうか。

「クラシック音楽って素晴らしいなって最近、つくづく思うんですよね。全部が全部ってことじゃなく駄作もあるんでしょうけど、この世に残っているクラシック音楽が、なんでこんな風に扱われているのか。我々の責任もありますが、聴かず嫌いの人が多いのは残念なんです。
耳触りのいい曲や軽薄な内容のものがもてはやされたり。聞き流しじゃなくて皆に音楽の本当の面白さ奥深さを知ってほしい。
僕自身、ここ10年くらいお蔭様で忙しく駆け抜けてきましたが、2年前に予期せず急病で緊急手術し長期入院を余儀なくされた時に、音楽も含めて様々なことを考えることが出来ました。
スピードや便利さ、豊かさを求める現代社会の歪みに目をつぶって、誤魔化し続けてきたツケが、昔からどの世界でもあったのではないか。どんどん酷くなって“大丈夫だよそんなの”って陥る。本当は経験からわかっているのに見えないふりをしておこうと。そういう誤魔化しが原発問題につながった要素なのでは?
世の中、全然軽薄であってはいけないことが沢山起きているにも拘わらず、益々軽薄になっている。内容の無いものがテレビなどでたれ流されていて、それしかないような時代になってしまっている気がします。その方向ではなくて、もっともっと人間の魂を抉(えぐ)るような、人類の共通財産として次の時代へ遺してゆく本質的に価値のある音楽を本気で紡いでゆく必要を痛感します。簡単な方法は無いと思いますが、例えば僕が、そして歌い手一人一人がもっともっと精進し、技術だけではなく、精神をも研ぎ澄まして、本質を究めてゆく事で、芸術と正面から向かいあう。それが問われている時代ではないでしょうか。聴かないでつまらないってことでなく、入口いっぱいありますしね。モーツァルトから入らなくてもいいし、ヒンデミットからでもいいし。われわれもクラシック音楽の感動の輪を広げる活動を地道に続けて、一人でも多くの中毒者を増やさなければと思っています。」

二期会創立60周年記念『ドン・ジョヴァンニ』
(ライン・ドイツ・オペラとの共同制作)

演出:カロリーネ・グルーバー 指揮:沼尻竜典
管弦楽:トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ

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2008年2月『黒船』

撮影:三枝近志 
提供=新国立劇場