受け継いだ歌を精一杯届けたい
普段オペラをメインに歌わせて頂いてますが、実はドイツ・シュトゥットガルト音楽大学在籍中にはリートを専門に学んでおりました。
自分は誠に残念ながら中山悌一先生に直接教えて頂く機会は得られませんでしたが、二期会創始メンバーの一人、大熊文子先生に長い間師事を受け、先生から当時の貴重な想い出話を聞かせて頂きながら、ドイツリートを通じて音楽の奥深さや声の素晴らしさをたくさん教えて頂きました。
先生は「あなたが大きな舞台に立つ姿を見るまではそれを生き甲斐に頑張って長生きしますからね。」と口癖のようにおっしゃっていたのですが、残念ながらご存命の間に自分が舞台に立つ姿をお見せすることは叶いませんでした。
以来、どんな舞台に立つ時でも、必ず心の中で先生に「頑張りますので見ていて下さいね」と祈ってから舞台に上がっています。
選んだリートは、先生に教えて頂き想い出のたくさん詰まった曲です。
今回も二期会を創始し、先陣切って日本の声楽界を築いた同時代の中山先生に向けて、自分が受け継いだ歌を精一杯届けたいと思います。
大槻孝志
次の世代への橋渡しとなりますように
中山悌一先生とは残念ながら直接面識がありませんでしたが、先生をはじめとする二期会の歴史を築いて来られた諸先輩方と心一つに、ドイツリートを通してメッセージを届けさせて頂ける機会をいただけました事、心より感謝申し上げます。
そして又ここから、未来をになう若き次世代の方々にしっかりと受け継がせていただけるよう、心を込めて歌わせていただきます。
歴史が今を繫いでそして未来へ・・・と、自分自身も時代の架け橋の一人となって行けるよう、日々、努力精進させていただきます。
中山悌一先生へ・・・有難うございます。 心を込めて。
林 美智子
ドイツ歌曲の第一人者であり二期会の総監督だった中山悌一先生の思い出は数え切れませんが、一番印象に残っているのは、1962年から3年にかけて3回行われた二期会オラトリオ定期公演です。そのうち二回が山田和雄指揮による劇的オラトリオ「マタイ受難曲」で、中山先生がイエスを歌い、二期会創立メンバーの三宅春惠、小島琢磨、宮原卓也、秋元雅一郎、戸田敏子諸氏をはじめ錚々たる諸先輩にまじり、若輩だった私がエヴァンゲリストとして抜擢されました。間近で聴く素晴らしい声、ドイツ語のディクション、そして深い色合いに満ちたイエスの苦悩。完璧主義で演奏家としては40代で引退し、決してオペラには出演されませんでしたが、そのテクニックと美声、ドイツ人をも驚嘆させる発音は稀有なものでした。今回出演者の中で最高齢になった今、想いを込めて演奏したいと思います。
中村 健
中山悌一先生を偲ぶ
中山悌一先生・・・声楽家としての私にとりまして、先生の存在は無限です。
幸運なことに私はとても若い時期から二期会オペラに出演する機会を頂き、先生との出会いがありました。
当時、音楽稽古は即ち、総監督の中山先生の密度の濃い指導から始まりましたから。
先生はオペラの時、リートの時・・レッスンの中で要所に発せられる一言の心に残る重さや、また時折自ら歌って聞かせて下さるその感動的な歌に、ピアニストにまでも音楽的指示があると「ちょっと、どいてご覧」と代って弾かれ、その流れ伝わる音の素晴らしさ・・などから、誰もが先生の芸術家としての偉大さに圧倒され、敬い、そして音楽する喜びも深淵も謙虚さも知りました。
いつもは殆ど褒めては下さらないけれど、ときに「よしっ」と言われた時の天にも昇るうれしい思い……<ミューズの世界>に受け入れられたような喜び!!
それが今日まで歌うことが出来た所以だと思っています。
歌を歌う限りいつも先生は私どもの傍におられると信じております。
曽我榮子
中山悌一先生のこと
ドイツの声楽家ゲルハルト・ヒュッシュ氏に認められ渡独し、帰国後先生が藝大の教授になられたのが、我々が藝大の学生だった時。
そして柴田睦陸(むつむ)先生の後任として、二期会の理事長になられたその時期に中山先生の立案で「二期会オラトリオ公演」が出来、1962年に「天地創造」を演奏しました。その時のソリストはガブリエルを蒲生能扶子さん、ラファエルには中山先生が出演予定で、中澤桂、築地利三郎、藤沼昭彦。中山先生以外は若手ばかり。突然研修生だった小生に‘ラファエルを歌え’とおっしゃった。
僕の師匠の畑中良輔先生は‘「天地創造」はレパートリーではないので、中山さんにレッスンして貰うように!’と中山先生のお宅にレッスンに通うようになった。それ以来、二期会の〈オペラ〉〈コンサート〉とお世話になった。
当日はヒュッシュ先生と中山先生のお二人に教えを受けたヴォルフ「ねずみ獲りの歌」を歌います。
平野忠彦
シューベルトの歌曲集「冬の旅」には、たくさんの思い出があります。
東京藝術大学に入り、ドイツ歌曲の権威・中山悌一先生の門下生となり、最初のレッスン曲として先生に頂いたのが、「冬の旅」。藝大時代の最後の演奏である、大学院の修了演奏も「冬の旅」でしたし、修士論文のテーマも「冬の旅」。この修士演奏前の最後のレッスンが終わった時、突然、中山先生が仰ったのです。「池田、『冬の旅』で独唱会を開きなさい。」と。その言葉で、最初の「冬の旅」全曲演奏を26才で経験することになったのです。中山先生が二期会に指示なさりイイノホールが確保され、小林道夫先生に電話して頂き、共演して頂けたのでした。中山先生、畑中良輔先生がお座りの演奏会場で、震えるほど緊張したことが、思い出されます。
池田直樹
私の中での中山悌一先生
藝大学部時代、70年安保の余波が藝大にもあり、純粋な芸術家でもあった先生は嫌気がさし潔く退官されてしまった。
幸いにも二年大学院浪人した私は再び戻られた先生のドイツ歌曲の授業を受けることが出来た。二期会デビューの『フィデリオ』では練習中からいつも居らして直接指導をして下さった。
二期会が財団法人(33年前)になったパーティーの席での先生の笑顔が忘れられない。会報の原稿編集の為、ご自宅に呼んで頂き、インタビューをさせて頂いた。創立の由来、二期会の目的、その目的達成の為に何をしてゆくかを直接教えて頂いた。二期会発展の為の特別研修会理事会(箱根一泊・自前ですが・・・)、千駄ヶ谷移転の為の度重なる理事会の他、それぞれの中山先生のお顔が思い出される。昨年10月『蝶々夫人』公演の直前の9月29日に昇天され、上野の寛永寺にて先生とのお別れをさせていただきました。合掌
近藤政伸
「まず、シューベルトの歌曲から始めよう!」―中山先生のレッスンのスタートです。今、楽譜を開くと、当時の私の筆跡に、緊張しながらも先生の注意やお話を一言も聴きもらすまいと書き留めた真剣な想いが甦ります。
先生の見事なピアノ伴奏で歌い、教えを受けられた贅沢な時間・・・今、改めて大きな尊いものに包まれて学んだ事に、心が一杯になります。
自分の・・・そして歌うことの原点に引き寄せられるシューベルトの歌曲からの一曲です。
そして感謝と共に全ての幸せを願いコルンゴルドからの一曲です。
永井和子
中山悌一先生を想う
私が中山先生にお目にかかったのはオペラ研修所4期生の時でした。先生の特別レッスンのような形だったと思います、『魔笛』のパミーナのアリアをそれは緊張して歌いました。
その長いフレーズが苦しくて、「ブレスは~~まで一息でしょうか」と歌い終わってお尋ねしましたら、「息の長い者は一息で、そうでなければ息継ぎをすればええ」と、ゆっくり仰いました。
もちろんそれは好き勝手に非音楽的な息継ぎをして良いことではないでしょう。
でもあの時、フーッと力が抜けて解放されたような、何か大らかなものに包まれたような気がしたのを、私は忘れることができません。
10月2日は天上の中山先生がしばし耳を傾けてくださいますことを夢見て歌いたいと思います。
釜洞祐子
音楽の真髄を追求なさった中山悌一先生
悌一先生のレッスンは朝9時。藝大大学院生の私は、毎回新しい曲を3曲ということで、前夜は緊張で殆ど眠れない状態でした。先生の見事な流暢な伴奏に支えられて歌う幸せ!あまり多くのことをおっしゃらず、時には素晴らしい声、生き生きとした表情で自ら歌って下さる一フレーズ。
“こんな具合かな”とおっしゃって、“この情景はどんなシチュエーションなのか?”という質問。
マーラー「亡き子を偲ぶ歌」を自分なりに情感豊かに歌った時、“センチメンタルは罪悪じゃ”とのひとこと。先生のおっしゃった本当の意味はドイツ留学中、身にしみて理解出来たことでした。
ドイツリートの名歌手でいらした悌一先生は、音楽の真髄を見抜き、芸術の高みを常に求めておられました。
今から41年前(1969年)中山悌一先生総監督、若杉弘氏の指揮(読響)で、ワーグナー『ラインの黄金』の上演となり(私のデビューともなりました)、日本のオペラ界に新たなエポックを切り拓かれました。先生は毎晩欠かさず練習場に来られ熱心にご指導下さいました。
あの時代、“二期会”は、中山先生を中心に、よりよき音楽を求め、まさに一丸となって燃えていました。
伊原直子
中山悌一先生の思い出
渡欧の前、私が演奏の方向について迷っているとき「タタラ、人間はな、やらねばならないと思う事をやるのではなく、自分が本当にやりたいと思う事をやるのが幸せなんだよ。」とおっしゃって下さって、それが心の中にすとんと落ちてゆき、迷いが消えたのでした。先生のこの言葉がなければ、きっと今の私はなかったでしょう。
また、帰国した後のことですが「冬の旅」や「詩人の恋」の指導をして頂いていた頃、小澤征爾さん指揮『さまよえるオランダ人』に出演する際に「期限は満ちた」のオランダ人のアリアを持って伺った時のことです。このアリアは演奏時間が12分以上もかかる長大な難曲で、歌うのも大変ですが伴奏するのも専門のピアニストでさえ骨の折れる曲なのです。「これを弾くのは何年ぶりかなあ。少し待っていろよ」と先生はおっしゃって、楽譜をじっと目で追っていらっしゃいました。そうしてレッスン室に静寂の中にもページをめくる音だけが聞こえる時間が3分を過ぎようとした頃、私は伴奏者を同伴しなかった事を悔やんでいました。「よーし、では始めよう」とおっしゃって先生がピアノを弾き始められた時、オーケストラを彷彿とさせる、えもいわれぬ素晴らしい音色と音楽がそこにありました。アリアの最期まで一度のミスもない完璧なピアノ演奏でした。私は歌いながらその伴奏の音楽の素晴らしさに身体が震えるのを止めることが出来ませんでした。先生は歌手として超一流なだけではなく、ピアノの名手として、いや、音楽家として超一流な方でありました。
多田羅迪夫
中悌先生讃
正しくは中山悌一先生讃と書くべきところ、当時我々門下生が限りない敬愛の念をこめてお呼びしていた通称「中悌」を使わせていただいた。
ひたすら中悌芸術に憧れ、歌い方が先生に似ているといわれることに無上の喜びを感じていた学生時代だった。比類ない中悌芸術の真髄はあの艶やかな美声は勿論、独特のレガート唱法にあったのではないだろうか。ドイツ語にリエゾンはないものの、あたかもリエゾンを思わせるが如く言の葉を鮮やかに紡いでいく名人芸に何時も感嘆の念を禁じえなかった。ウィーン留学して間なしに、先生から「お前はその美しい発音と、見事なレガート唱法を一体誰に習ったんだ」と聞かれ「日本のフィッシャーディスカウに!」と得意満面に答えたものだった。千駄ヶ谷の新しいレッスン室で「この部屋はここに立つといい発声でしか声が聞こえてこないんじゃ」と云われ部屋の隅に立たれ、必死に歌うものの「聞こえん、聞こえん」といわれ泣きたくなったのも楽しい思い出!その他先生の思い出は枚挙に暇ないが、唯一つ皆さんに是非聞いていただきたいことで、おそらく私だけしか知らないであろう中悌芸術の秘密があるのだが、それはこの画面ではなく10月2日、津田ホールでお話したいと思う。
蔵田裕行
|
●日時
2010年10月2日(土)
16:00開演(15:30開場)
●会場
津田ホール
・JR中央・総武線各駅停車
「千駄ヶ谷駅」前
・都営大江戸線
「国立競技場駅」A4出口前
●チケット料金
(全自由席・税込)
《1回券》
・一般
¥4,000(愛好会割引あり)
・学生券
¥2,500(10枚限定)
・車椅子席
¥2,500(同伴1名同額)
《シーズンセット券》
・2回セット券 ¥7,000
Vol.30~32公演からお好きな
公演を2つお選びいただけます
●ご予約・お問合せ
二期会チケットセンター
TEL 03-3796-1831
FAX 03-3796-4710
平日10:00~18:00
土曜10:00~15:00
日・祝休業
●チケット販売
津田ホール
TEL 03-3402-1851
※シーズンセット券・愛好会割引券・
学生券・車椅子席のお取扱いは、
二期会チケットセンターのみです。
●主催
株式会社二期会21
津田ホール
●協賛
カルビー株式会社
●制作
株式会社二期会21
▼総合ページはこちらです▼
二期会ゴールデンコンサート
in津田ホール2010/11season |
|
|
|
|