前回に引き続いて、東京二期会が進めてきた国際共同制作の軌跡をたどります。『ニュルンベルクのマイスタージンガー』公演の成功をスタートに、翌2003年、ドイツのケルン市立歌劇場と共同で白紙から作り上げた『ばらの騎士』は、来日した現地スタッフによって、ケルン以上の出来と激賞されました。当時同劇場総裁だったギュンター・クレーマーの演出には賛否が分かれましたが、5年以上たった今でも色あせない、映像が心に刻み込まれて残っています。(下の写真は二期会公演からフィナーレのテルツェット:右より佐々木典子、林美智子、幸田浩子)
このケースでは、当方からR.シュトラウスの名曲『ばらの騎士』の共同制作を打診するところから始まりました。二期会オペラの観客から頂いたアンケートで常にリクエストの大きな演目であること、また東京二期会の先輩方がワーグナーの紹介を果たしてきた最初の50年の総括は『マイスタージンガー』としても、次の世代ではR.シュトラウスに取り組むという方針がありましたので、50周年記念公演の目玉の1つにしたいと、思いを伝えました。クレーマー氏は、最初「なんでそんな博物館にはいるような演目をするのか?」と冗談を言っていたのですが、「待てよ、ハプスブルグ当時の上流階級の最高の趣味はジャポニスムだったなあ」とつぶやき、来日して桂離宮を見学するに及んで、この共同制作の方向は定まりました。
この公演の成功は、ドイツの他の歌劇場にもニュースとして流れ、2004年のコーミシェ・オーパ・ベルリンとの『イェヌーファ』、2005年のハノーファー州立歌劇場との『さまよえるオランダ人』、翌2006年のハンブルク州立歌劇場との『皇帝ティトの慈悲』と続く国際共同制作の嚆矢となりました。そのいずれもが二期会オペラにとっての記念碑的上演となり、公演の質的レベルを更に押し上げる起爆剤となったのです。
しかし、一方で問題も浮き彫りになりました。先方とペースを合わせるためには、少なくとも3年前から準備を重ねる必要があります。作られたものを借りてくる公演と、共同制作が違う一番のポイントは、当方の計画が交渉先の新制作プランに合致していないとまとまらないことです。従って、先方のペースに合わせて枠組みがスタートするため、財政基盤の劣る我々のような団体には文化庁の助成が決まる前の先行投資という厳しい資金リスクに直面することになるからです。
今までの交渉経験では、なかなか話しが合わずに試行錯誤することもありましたし、まとまりそうにない場合は、諦めて他の劇場を当たることもありました。しかし、二期会の日本での上演レベルが、来日スタッフから伝えられるようになって、最近ではむしろ先方からも誘いが来るようになってきました。これは、欧州のオペラ劇場が財政難となっていて、頻繁に共同制作が行われている現状と、二期会の実力が共同制作のパートナーとして認められたという両面の理由からでしょう。今では複数の劇場と接触を保ちながら双方の希望をマッチングさせるという、新たな段階に移行しています。
このように、国際共同制作で成果を挙げることができたのも、それ以前のオペラ制作のやり方から思い切って海外との協業へと歩を進めたことが成功の鍵でした。この文化庁の目指したプログラムは、うまく活用すれば極めて大きな成果を挙げ得る画期的なものだったことが証明されたわけです。(常務理事 中山欽吾)
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「演出とドラマトゥルグ」 オペラの制作現場からーその18
最近のヨーロッパでは、新演出でいわゆるト書き通りのオーソドックスな舞台が作られることはまずありません。それどころか、時代設定も話の筋を変えてしまうことすら日常茶飯事です。たまに古い制作の舞台が残っていて再演されることもありますが、それを見てホッとされる方もいる一方で、なんて古いんだ!とがっかりされる方も多いようです。
同様に、新演出を見て、「何がなにやらさっぱり分からない」と首をひねったり、「でたらめだ!」と怒るお客様がいる半面、演出家の新しい試みに心を振るわせて感動される方も確かに存在するのです。ヨーロッパでは、各地に劇場があって、何百年もかけてオペラを上演してきた歴史がありますので、このような変化に対する許容度は日本よりははるかに高いということもいわれていますが、この新しい傾向は最も保守的という折り紙付きのMETでもすでに顕著となっています。
劇場にはドラマトゥルグというポストがあり、オペラに熟知した専門家がその任に就いていて、脚本家、作曲家がそのオペラをどのような背景で作り上げたか、その時代背景など、緻密な考証を行っています。一般的にいえば、ある演目を新制作しようと計画すると、まず劇場のトップ(インテンダント)がオペラ部門の部長、ドラマトゥルグ、音楽総監督と討議しながら、どのような方向性で作るかを決め、その方向に沿って演出家を起用していくことが多いようです。
演出家の傾向は、過去の実績からおおよそは判断できますから、その時点でほぼ制作の方向性は決まったと言っても過言ではありません。ただし、あとは任せっきりというわけではなく、オリジナルを熟知した上で、それを読み替えていくという制作プロセスで、ドラマを再構築する膨大な知的作業が行われます。これがオペラという400年の歴史を持つ総合芸術を現代社会に活着させるエネルギーとなっていることは見逃せない事実です。
最近、新国立劇場で上演された『軍人たち』を演出したのは、4年前に二期会がベルリン・コーミッシェ・オーパと共同制作した『イェヌーファ』の演出もしたウィリー・デッカーですが、まるで表現方法は違っても、底を流れる「舞台上のダイナミズム」ともいうべき、登場人物間に繰り広げられるドラマの表現方法に共通点を見いだして、鳥肌が立つほど興奮しました。
このような実験的な表現を、それを知らない観客の皆様にお金を払わせてでもやるのはおかしいという意見もお聞きする一方で、博物館に入れるようなものは期待しないというお客様もいらっしゃって、我々はチャレンジとオリジナリティの間をいつも行ったり来たりの試行錯誤を繰り返しています。それによって生まれてくる何かを期待して。(常務理事 中山欽吾)